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Idletalk vol.6
病院でだらだら

絶版
テーマとしてかなり変わり種だが、その分未だに人気も高い。
また、編集前には入院自慢が多くなるかと思いきや、「生と死」系の泣きコラムやお笑い病院などが適度に入り組んで、読み応えもあり。表紙は高知で一番元気のいいイラストレタ・ヤマナカカヨコ(かよっぺ)の書き下ろしで、以後友の会のペーパーでは毎回書き下ろしをお願いしている。

DATA
フリーペーパーIdletalk第6号
1999年11月発行

IIdletalk 06-1.pdf(323k)

dletalk 06-2.pdf(452k)

病室の祖母には会えない理由/NAO

「ばあちゃん、半分こしよ」/chiezo

ザ・実話 ホスピタルロマンス/atuo

「ER緊急救命室」の虜/bucco

ありがとう先生 ありがとパンチ/shibao

●病院秘話

朦朧の記憶の中で/ヤマネシノブ
ワタシは歯医者で針を飲みました/タカハシヤスエ
コント医院/サカイチホ
厚生省への提案/シマモトアヤ
引き際/ヒロタアミコ
コント医院/サカイチホ

 病室の祖母には会えない理由

text/NAO

 「長生きするばあやったら早う死にたい」

 杖なんて使いたくない、そこらのおばあちゃんみたいに腰を曲げてまで生きたくない、白髪なんて絶対見せたくない。とにかく恰好をつける祖母だった。足腰は確かに弱っていたが、それでもどうみても若い、着物が本当に似合うかっこいい祖母だった。
 そんな祖母が倒れたのが2年前。今、祖母は海の見える病室で、しずかに暮らしている。あの日から祖母は言葉を失った。ふくよかだったはずの祖母はいつしか白髪になり、すっかり痩せてしまった。やや固くなった手は、ぎゅっと握ると軽く握り返してくる。
 病室を訪れても、ただただつらい。会えば会うほど、昔の祖母がどこか遠くへいってしまうようで、だから数ヶ月に一度しか自分は病室を訪れない。行く度にまたすぐ来るからねとは祖母には言う。最後に祖母に会ったのが春のことだから、もう半年も会わないでいる。
 母方の島根の祖母は、八年前に癌で亡くなった。病室の祖母は日に日に力を失っていくのが目にみえて、やがて自分では起きあがれなくなった。そんな感じの祖母と病室で話をしていたら、発作がはじまった。見ていれなくて、何も言えずに病室をあとにした。変わり果てゆく祖母の姿。その夜、祖母は死んだ。
 死は、唐突であれ予測されたものであれ、それまでの記憶を掻き乱す。死によって記憶は死の瞬間よりそこにとどまっていく。もしくは、死に臨む姿を見ることでかつての記憶をひとつひとつ潰してゆく。
 本当なら、できるだけそばにいてあげるべきなんだと思う。返事がなくても話をしたり、ただ手を握ったりしているだけでもいいんだと思う。
 でも、自分は日曜市でばったり会って写真を撮ったり、祖母の部屋でお茶をたててもらったりしたあの頃のままでいたい。きっと祖母もそうだと勝手に思いこんで、いけないままでいる。
 祖母に昔自分が祖母に宛てて出した手紙が出てきたと伝えると、泣き出してしまった。なんで言ってしまったのかわからなかった。
 それから、もう半年以上祖母には会っていない。最近、祖母は元気だそうだ。

 「ばぁちゃん、半分こしよ」

text/chiezo

 母が胃癌の手術のため入院していた時、二人部屋で同室のおばぁさんの所に、一族八人も見舞いに来て、赤ん坊を扱うように褒めたりしながら、大騒ぎで食事をさせようとしていましたが、おばぁさんは、石像のようにニコリともしないどころか、ほとんど目も開けず、感情を失ってしまった人のようでした。

 ところが、その後、中年の男の人が一人で見舞いに来た時、おばぁさんは「まさしー、まさしー」と声をあげてオンオン泣き出したのです。どうやら自分が面倒を見た初孫に会いたいようで、その人が帰った後も、唸るように「まさしー」と呼び続けたのです。

 翌日、祈りが通じたのか、その「まさし」がやって来たのです。ハタチ前くらいの、期待通りの青年で、
「アイスクリーム買って来たで。ばぁちゃん、半分こしよ」
 とベッドに座りました。その言い方はどんなにおばぁさんを喜ばせたことでしょう。恐らく、生まれながらにして、人を喜ばせることを知っている部類の人なのでしょう。

 おばぁさんは、二口ほどしか食べられませんでしたが、たとえ毒だと知っていても、喜んで口に入れたことでしょう。心を溶かしたおばぁさんは、素直で無防備な、ほとけ様のような姿でした。

 おばぁさんは、数日前まで元気に働いていたのに、どこかにたまった水を抜いたら、突然そうなったということでした。手を骨折していたためか、ベッドは起こしたままなので、全く動けないおばぁさんの体はズリズリ下がってきて寝間着ははだけて、ほとんど裸状態になってしまうので、その度に看護婦さんを呼びに行きました。輸血が漏れて床に赤いものがポタポタたれていたこともあります。看護婦さんが精一杯やってくれているのはわかりますが、完全看護なんてそんなものです。

 時々、おばぁさんが小さい声で、「看護婦さーん」と呼ぶので、私が「おばぁさん、何?」と聞いてあげるとぱっちり目を開けて、ニッと笑うのです。他人の私だけが、「まさし」を呼び続けたことと、おばぁさんの笑顔を知っているのです。

 それは、たった二日のことなのですが、おばぁさんのことは妙に気になっていて、次に行った時に「あのおばぁさん、どうなったかな」と兄に聞いたら、「あれからすぐ亡くなったよ」と言うのでびっくりしました。

 理由は分かりませんが、多分、娘さんにさえ笑顔を見せず、言葉も交わさないまま逝ってしまったのでしょう。「まさし」が来てくれたので、もういいやと思ったのでしょうか。

 身内でなくても、最期を看取りたかったと思うおばぁさんでした。

 ザ・実話 -ホスピタル ロマンス

text/ATU

 「病院」のエッセンシャルとして欠かせないのはやっぱりナースや医者との院内ロマンスでしょう。これは病院の怪談と並んで古今東西不変の人気テーマです。生死の織りなすシリアスな空間、あくまで秘密厳守の個人的なドラマの舞台だからこそ、大衆はそこに喜劇と、秘密の暴露を切望するのです。何かあるはずだ、深く詮索するのはタブーだ。でも知りたい、見たい。というわけで、興味津々の病院ロマンスの理由にだらだらと迫ってみましょう。あらら、申し遅れました。私は某病院の隣に40年住んでいる妖精です。院内をこっそり飛び回り、夜泣きの子どもをあやし、産気づいた女性を励まし、淋しさに夜な夜な院内をうろつく老人を慰めるのが私の仕事です。

 さて、今私の手元に一通の告白手記があります。昨夜、私の夢枕にかわいい子うさぎが立ち、これを届けてくれました。読んでみるとこれが何とうら若き青年の書いた赤面のホスピタルロマンス激白。それによると彼は昨年、扁桃腺切除手術のために一週間ほど入院生活を送ったそうなのです。普段生真面目でシャイな彼が病院という非日常空間に身を晒し、如何にしてインモラルな世界に足を踏み入れるに至ったかが、この手記には赤裸々に語られているのです。その全てをお見せすることは世間の倫理とお母さんが許しませんので涙を飲んで控えさせていただきますが、ほんの少しだけ、彼の冒険を覗いてみることにしましょう。さあ、フォローミー!


 手術当日。手術台にのり全身麻酔をかけられたところまでは覚えていたのだが、そこで僕の意識はあえなく途切れ、気づけば病室に運ばれる途中の廊下であった。でも何故か、いつのまにか全裸。ベットに横たえられ、まだ全身麻酔が抜けきっていないのでウツラウツラするが、どうも下半身に激しい痛みを感じて寝る事すら出来ず、たまらずナースコール。急いで駆けつけて来てくれたのは、なんとも頼りなさそうで可憐な新米看護婦だった。来てくれたはいいが、喉の痛みもひどく、声が出ない。必死の面持ちで下半身を指差したのだがわかってもらえなかったので、僕は震えるような字で“あそこが痛い”と恥ずかしげも無く書いた(今考えるとかなり滑稽である)。しばらくは一人でトイレに行けないだろうという医者の親切な、しかし勝手な判断で、何と僕の尿道には管が挿入されていたのだった。新米看護婦は僕の痛みをやっと理解してくれ、恥ずかしそうに、不慣れな手つきで僕のを手に取り管を抜き取ろうとするがなかなか上手くいかず、結局僕は恥ずかしさと痛みに耐えきれずに自分で管を抜き取ってしまった。取りあえず痛みは去ったが次に僕を待ち構えていたのは何とも恥辱に満ちた仕置きだった。尿道に管を通さないのならと、この年齢で言われるがまま、されるがままにオムツをはかされる始末。オムツをはいて羞恥心と全身の痺れに身動きがとれない僕を白衣の天使は残酷な笑みを浮かべながら冷ややかに見つめるのだった・・・。このようなプレイには少々興味はあったが願わくば正常な時に味わいたかったものである。オムツは・・・恥辱と懐かしさが綯い交ぜになった、甘くて危険な薫りがした。

(寄稿/乱酔猿26歳)


 嗚呼インモラル。熱が出ちゃいそうです。そう、病院においては若くて精力的な男子も清純な女子も皆一様にその身体を他人にお任せしなくてはいけないのです。何をされるんだろう、私のからだ、どうなっちゃうの? そりゃあ変な妄想もぐんぐん膨らみますよね。

 おっと、隣の病院に入院しているおばあさんが叫んでいるようです。駆けつけて抱きしめてあげなくては。では、この続きはいずれ、また。

 「ER緊急救命室」の虜―Osusume Yagi Returns?

text/BOO

 面白いねー、「ER緊急救命室」。目まぐるしく流れていくストーリー、個性的でキャラクターがはっきりとしたキャスト、リアリティーを追及したセットと小道具、ドキュメンタリー映像のような動きのあるカメラワーク。それらはドラマを超えて、真実の映像であるかのように見る者を引き込み、最後まで裏切らない。

 現在、NHK総合では3rdシーズンを、NHKBSでは4thシーズンを放送中。秋からは5thシーズンの放映も決まっていて、日本のドラマでは考えられないようなロングタームで制作が行われている。1シーズンにつき約24話。5thシーズンまででも、120話もあるってこと!これが延々同じ場所を舞台として、キャストの入れ替わりはあれど、メインキャストはほぼ変わらずに続けられているドラマなんだから、普通ならとっくのとうに飽きられているはず。でも、毎回次々と患者は運ばれてきて、治療だけでなく患者の取り巻く環境、治療に付随する様々な問題、人間を取り巻く社会問題なんかも同時にどんどん出てくるわけだから、はっきりいって飽きる心配は全く無し。

 また、適度な分量で万人受けするユーモアやラブロマンスなんつうのもちりばめられてて、これがハードな緊急救命室でのシーンのお口直しの役割になってるって具合。傷口のアップやら、血潮がビュービュー吹き上がるばかりのグロいドラマだと思って見ず嫌いしちゃっている人も多いみたいだけど、そんなのはホンの付けあわせ程度。確かにリアルだから目を背ける人もいるかも知れないし、特に初期の頃はそういうシーンも多かったけど、気長に見続けるとそんなシーンの後ろにある大切なストーリーの展開に引き込まれていくはず。

 病院ドラマに興味のない人でも、濃厚なイイ男が大好きな方は、今や時の人となったジョージ・クルーニーのスケコマシ振りと正義感溢れる小児科医振りでメロメロになっていただくもよし、敬虔なハリウッド映画教の信者の方は、「ER」に出てくる数えきれないほどのキャストが他のどんな作品に出演していたか記憶の引き出しを開けまくるもよし、長ーいシリーズだからピンポイントで攻撃したいという方には、ビックネームが監督or 出演している回を目掛けてチェックするもよし(Q・タランティーノ、S.ピッペン、E・マクレガーなど)、楽しみ方もいろいろ。

 「ER」を見ずして、日本産のヘッポコ病院ドラマで満足しちゃっている輩の中には、「どうせおんなじでしょー?」なんて宣っている人もいるのでは?違うねん、全然。米国のドラマだからとか、NHKで放映しているからとか、見ないなんてバカ!「ER緊急救命室」見なさい!とおすぎの如く強引にオススメしたい。きっと君たちも、ディープでちょっと頭のイタイ「ER」の虜の世界へズブズブとハマっていくはず。ウププのプ。

 

 ありがとう先生 ありがとパンチ

text/Shibawo

15歳になる老犬の調子がよくないので動物病院へ連れて行った。診察が終わった後「とりあえず今晩はこちらでお預かりします。脱水状態がひどいのでこのままだと・・・。」とまっすぐな目をした若い先生は言った。

 翌朝動物病院から電話があり、老犬が死んだことを知らされた。夜中に一度峠がやってきたのだがなんとかそれを乗り越えたので安心していたのだが、朝ゲージをのぞいてみたらすでに死んでいたという。まだ温かいのですぐ来てあげて下さいと言われた。

 車を飛ばして駆けつけた。そこにはほんとうにまだ温かい老犬のなきがらがあった。首に白いリボンを結んでくれてあった。あたしは先生を責めた。「どうして昨日連れて帰らなかったんだろう。」何度も何度も自分を責める振りをして、泣きじゃくって先生を責めた。先生も泣いていた。

 お別れをした後、先生は重いなきがらを車に積み込んでくれた。そして看護婦さんと2人で見送ってくれようとした。だけどあたしはそれを拒否した。「お顔を拝見していると辛いので、どうかお戻り下さい。」と泣きながらもはっきりと言った。我ながらなんてひどい人間だろうと思った。

ベテラン風の看護婦さんに促されて、先生は悲痛な顔をして病院へと戻っていった。

だれも悪くはないのだけど、老犬はひとりで逝きたかったのかもしれないと今は想うけど、

あのときはだれかを責めずにはいられなかった。あとになってその看護婦さんから、うちのパンチが先生の初めて看取った犬だったことを聞いた。

先生、ほんとうにごめんなさい。一生懸命やってくださったのに、あのときはそこまで気持ちが至らなくてごめんなさい。

 病院秘話

text/みなさま

朦朧の記憶の中で

 入院は5、6回やっちゃってるんですが、これは中学1年生の冬に形成外科にかかって入院したときのこと。事故で指を切り落として(しかも5本も!)つなぎあわせた、というおばさんがとなりのベットに寝ていたんだけど、指を下にむけるといたいらしく、いつも全ての指を上にむけていたんだけど、その姿が激怖!!
 しかしおばさんは、事故にあって瀕死の状態ではこばれて、その手術中に、先生が看護婦と「今日の晩飯何にする?」と日常会話を交しながらとれた指をくっつけていたのが、消えゆく意識のなかに聞こえたのが怖かったらしい。
 やさしくて好きなおばさんだったんだけど、その姿は片平なぎさとかぶっていました。…何人がわかるのか?
(京都市/ヤマネシノブ)


ワタシは歯医者で針を飲みました

 頃は保育園、所は歯医者。大泣きしながらもようやく治療も終盤、いよいよ先のない注射器で消毒液を注入しようというまさにそのとき、事件は起こりました。
 シリンダーにきちんとはまっていなかったらしい針がワタシの口の中にポロリ。上を向いたまま大暴れで泣きじゃくるワタシは、ごく自然にゴクリ。
 飛んできた母はワタシの口の中に指をつっこんで針を探しますが、どうしてもナイナイ。
 タクシーに乗せられ、医師とともに病院へ直行。レントゲンで針が胃の中に入っていることを確認。自然に体外へ排泄されるのを待つのみとなりました。
 保育園はしばらくお休み。歯医者さんよりメロンなどを貰って、何ひとつ理解していなかったオバカなワタシには、天国。
 1日に何度も「おかあさん、ウンコ」と言われる度に、娘の排泄物を丹念に調べなければならなかった母には、地獄。そんな日が数日間。
 やっと針が出てきたときの母の喜び様を、ワタシは忘れられない。
(高知市/タカハシヤスエ)


コント医院

 それはまだ私が17歳、受験勉強のまっただなかにあった頃。顔面左半分に、飛び上がって叫びたくなるような激痛を感じ、近くの『脳神経外科』へ駆けこんだのである。 そこはテレビドラマに出てくるような、古い建物の小さな医院だった。診察室にいた医者は、『なんだってっっっ?』とでっかい声で聞き返す、ドリフのコントに出てくるような人だった。内心、「しまった」と思ったが、もう遅かった。
 医者は『よくわからんけど、そのうち治るじゃろ』と言った。
 診察が終わり、会計を待っていると、『さかいさーん』と窓口に呼ばれた。『お薬、3日分でてますから、食後に飲んでください。はいお大事に』と、暗唱するように言ったのは白い割烹着を着たおばあさんだった。ドリフのコントのような医者と、窓口のおばあさん。すごい医院だ。私はぼんやりと『脳神経外科』を出た。そして歩きながら気が付いた。「これはいったいなんの薬なんだ?!」(京都市/サカイチホ)


厚生省への提案

 病院におけるお年寄りは恐怖なのである。早朝5時。「診察券出しに来てん。ついでやし、お見舞いでもしとこか思って…」って、冬の真っ暗闇のうちからどう言う事?一体、何時に起きてんの? 改め、何時に寝たの? もしかして、寝ていないのか? しかも、廊下にでてみれば同類と見られるお年寄りがぽつぽつ。
 来るべき高齢化社会に向けて、一言お願いがある。お年寄り専用の病院を作って! あんな早起き相手じゃ、そりゃ診察券7時に出しに行ったところで、8時の診察開始から3時間待ちは当たり前。厚生省は早急に対策を考えるべき。絶対。同じ思いの若者も多いはず!(京都市/シマモトアヤ)


引き際

 昨年の始めに祖母が倒れて入院した。4人部屋で、となりは、小学生のお子さんがいるお母さんで、かなり重病のようでした。毎日、学校と会社の帰りにやってくるこどもさんとお父さんが、日々やせ細っていくお母さんを見るのは、さぞかし辛かったのでは。。。
 となりにいながら、何もできず無力だなぁと思ったものです。
 付き添いってのは、いろんな意味で疲れます。様々な患者さんがおられる中、年老いて死んでいくのに別に治療なんていらないのかも。。。と思ったものです。老いて衰えるのはあたりまえ。人間、引き際が大事です。(淡路島・北淡町/ヒロタアミコ)

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