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text / 京都でだらだらTOP

メール対談/京都って、なんだろう

京都中毒/サカイチホ

京都から少し離れて。/宮川佳恵

在りし日、恋の話/ちよ

京都の、ダブル・イメージ/Natsu

素敵な男、素敵な女/テラゾノカオリ

京都ってところは/松尾恵

京都の温度。/ジョウモリトモエ

何回目だろう/カツキミヤコ

長い道程/しまさきさちよ

あの水の不味さたるや/ヤマザキシノブ

ガイコクジンとゆくハイパー観光・京都/ヒロタアミコ

ほんに嵐山/chiezo

□うちらのキョウト

イラスト/山中かよこ

 御所ノ内荘の生活

text/テラゾノカオリ(調布市)

 アパートの横に流れている川の音がいつも雨の音に聴こえて、京都にきたはじめの頃は布団の中で、毎日が雨だった。空の色がやけに薄曇っていて全てが濁って淀んでいて静かだった。四季折々の季節の移り変わりが繊細に美しく目に見える京都で、私は大学四年間、勉強そっちのけで恋をした。人に恋をしたのか京都に恋をしたのか分からない。けれどきっと京都だから恋をした。下賀茂神社の新緑の朝に、吉田山の隠れた長屋から哲学の道を通り抜けて、南禅寺の水路に沿って煉瓦の上を歩いた夏の日に、素敵な男と思った。あるいはそれ以上に私が素敵な女と思われた。

 男がブロッコリー山と呼んで親しんだ山の緑が日に日に濃くなって、それからまた暈した栗色になった。店頭に並ぶ美味しそうなブロッコリーに負けないくらい、茹で立ての色をした初夏の頃に、私たちはよく夕方に起きて夜の散歩をした。蜘蛛の巣に引っ掛かった蛍を助けたときは誇らしかった。ある日、背高泡立草の咲き乱れた野っ原が、御所の内荘の生活が、みかん色のシャベルカーで潰されたときは泣きたかった。

 蝸牛が歩くくらいの速さで、長い5年間が過ぎた。引っ越しの日だけが光陰矢の如くやってきた。前日の深夜にもまだ荷造りが終わらなくて混乱して喧嘩して、男が出ていくのを引き止めようとして走って引き摺られて、肘を擦りむいて痛かった。苦しくて悲しくて美しい京都の最後の夜に、あの初夏の香りが静かに流れてくるような気がした。京都で幸せだった。

 京都ってところは

text/松尾惠 画廊経営/京都市

 長いこと京都に住んでいるので京女だと思われているが、私は神戸出身のラテン気質だ。

 だから、湿気の蓋をかぶった京都はカラダに合わない。地中に貴族文化がいっぱい埋もれているのも、なよなよしていて気持ちが悪い。祖母が瀬戸内海の小豆島出身だったので、私には海賊の血が混じっている気配もある。比叡おろしにはまったく風情を感じないが、海へ駆けおりる六甲おろしには掻き立てられる(注:阪神の応援歌ではない)。

 私は、海に向かって開けていない土地を田舎だと思っている。京都は、典雅な都だと言われるが、たいそうなお宝に埋もれていることを除けば、私には野暮ったい田舎である。四方を山に囲まれていたり、大阪からの私鉄が行き止まっていたり、中心部が御所や川に分断されていたりと、物理的にとても息苦しいし、交通やら文化やら観光などの公共事業のセンスが最悪だからだ。センスが悪いのは、都意識に乗じて他を見てこなかったからに違いない。京都のエグゼクティヴの鼻持ちならないこと! それから、学者や文化人がやたらと多いのも鬱陶しい。

 こんな悪態をつき「よそ者」であることを強調しつつも、しかし私はこの町に二十四年も住んでしまった。そして、その間ずっと現代美術にかかわっている。京都が好きかと尋ねられたら、ひと呼吸おいて「好き」と答えるだろう。それは、現代美術にとって、居心地がよいからだ。現代とか前衛とか先駆的といっても、町はその新しさのダイナミズムや価値を理解できないからだ。どれだけ画期的で国際的な表現であっても、京都人には関心がない。だから、マスメディアに押しつぶされることもないし、玉石混交の様々なオファーに消費されることもない。かくして、京都の現代美術は野放しにされ、気がつくと他都市や海外からの逆輸入大ブレイクという現象が起こるのである。ラテン気質にとって、この下剋上はたまらない魅力だ。

 さて、開業十四年になる私のギャラリーは、いまだにアバンギャルドと言われている。変わり種をホメ殺しするのも京都らしい。が、近頃では、これにも「へえ、おおきに」ぐらいは返しているかもしれない。で、アバンギャルドをよいことに、私は嫌いな種類のアートをけっして扱わないが、嫌いなものほどコメントも控える。また、海外のアート関係者には、京都は東京と並んで現代美術の二大都市であると言い、心の中では東京のアート関係者のことを競争相手にも思っていなかったりするフシがある。

 …すごく京都っぽいというか、私って、そろそろ京女かもしれない。

 何回目だろう?

text/カツキミヤコ(学生/宝塚市)

 京都へは、用事がある時か、それかほんと、何とも無く行くかの二パターンだ。用事って言うのは、たいてい美術館や誰かの個展なんかに行く。

 で、後者の場合、京都についてから、街中やよく知らない道をただただ歩く。でも毎回、以前来た小道に必ずと言ってよいほど、迷う。しかも前と同じように。自分で探り当てているのか、それとも京都にハマラサレテイルのかも????

 長い道程

text/しまさきさちよ 公務員/高知市

 8月某日。2年ぶりに京都を訪れた。

 照りつける日射しの下、京都駅南口に降り立った私は、駅前で客待ちしているタクシーに乗った。今回の旅の目的、東寺の弘法市を覗くためである。「近くて申し訳ないですが、東寺までお願いします」。私がそう告げると、無言のままタクシーは走り始めた。

 運転手はだるそうな欠伸をするわ、空のペットボトルでハンドルを叩くわ、いかにも「やってらんねえよ」的な空気を充満させた。しかも、後部座席の耳元にあるスピーカーからは高校野球の実況が大音量で流れてくる。イライライラ・・・

 長い間待った挙げ句に、東寺までなんて言われたらムッとするのは分かるけどさぁ、こっちだって京都に着いたばかりで疲れてるんだよ! 悪いと思ってるから最大限丁寧に言ったのに、態度に出すんじゃねえよ! もういいからここで降ろしてよ! なんて言いたいけど言えない。だって、こんな暑い中を歩きたくないんだもん。タクシーを降りたら、即抗議の電話をかけてやる! そう思って乗務員証を探したが、ない。何なんだ、このタクシーは??

 コンバットマーチが鳴り響く中、お互い一言も発しないまま東寺に着いた。「720えーん」運転手の記念すべき第一声である。私は無言でお金を出し、こみ上げてくる怒りを抑えて車を降りた。当然、車体に書かれている会社名等をチェックしたのは言うまでもない。

 京都というところは、基本的に観光客には非常に親切なまちである。しかし観光客に【普段モード】をさらけ出すことは、まずない。まちを歩いても、お店に入っても、社寺を巡っても、いつも感じることである。ディズニーランドのように、ゲストには決して裏を見せない。なのにあのタクシーは、つい観光客に【普段モード】の対応をしてしまったのだろう。ミッキーが園内でタバコを吸ってしまったようなものか。

 京都の温度

text/ジョウモリトモエ 大阪市

 京都に約3年間学生として暮らして、京都はすっかり私の居場所的存在になってしまった。

自転車でひたすらまっすぐ走って、どこまでも行けてしまうその大きさも、四角くくくられた町の構造も、何もかもがちょうどいい小ささでとても心地が良かった。

 学生という身分から離れて3年、京都を離れて3年と、あっという間に私が京都で過ごした年数を飛び超えて行ってしまったけれど、今でもその心地よさを思い出すことはしばしばだ。

 いろんな事も忘れてるんだろうな、と思いながらも、ごちゃごちゃした路地にあれがあった、これがあった、と記憶の確認作業をしてしまう。もちろん新しいお店や見慣れないビルが建っていたりするのを発見するし、友人からあれはああいう風に変わったんだと情報もちらほら入って来る。

 でも、表面がいくら形を変えても、私が学生生活を過ごしていた頃に味わっていたあのなまぬるい温度だけは、いつまでもちゃんとある。

 そう、ぬるま湯。ぬるま湯というと、もうどうしようもなく無気力なイメージが付きまとって来るけれど、そういうネガなぬるま湯ではなく、じーっとしていながらもきちんと充電できる環境という意味でのものである。このぬるま湯の存在は、私に落ち着きというものを適度に与えてくれた。成長したんだと思う。あの年齢であの期間を京都で過ごすことができて、本当に良かったと心からそう思える。

 もちろん今でもそのぬるま湯が懐かしくて、時にはすごく必要で、あまり目的もなくうろうろしてしまうことが多々ある。行動範囲は狭いけれど、私の中にはこれぞ京都ぬるま湯という場所がいくつかあるからだ。そして、学生だらけの左京区に足を踏み入れると、今もそのぬるま湯の中で暮らしている人をたくさん見る。湿気がたくさんあるせいなのか、空気はどこかぼんやりとしていて、ものの動きがゆるやかに見える。空気の対流が外からやってくるのではなく、今ここだけでゆっくりうねりながら、かすかな粘度さえ感じられるくらいの重みを持ってしている。長くいれば、きっと頭痛さえ覚えてしまうかもしれない。今はそんなことも考える。だからこそ、あの時分で良かったとしみじみ思い、そうしてずっと京都に自分の一部分をしょってもらっている。

 ぬるま湯の他にもうひとつ、相対する環境として京都の底冷えの寒さがある。

 どんなに夏の厳しかった年でも、10月ともなって来ると空気の中にしんとした冷たい物質がまじってくる。そうこうして11月に入ると、夜は本当に寒く空気はぴんと張り詰めて来る。

 冷たい空気は、それまで粘りある空気に浸かっていた体にはとても新鮮で、頭のなかが隅々までどんどんクリアになっていくのがわかる。あまりの寒さに耳やら鼻やらの器官がジワジワ痛くなってきて、足元ももう立っていられなくなるくらいで不快なはずなのに、この冷たい空気は欠かせない必要なものだった。体の感覚器官がいい具合に尖って来て、隅々までに神経が行き届いてゆくのがわかるのだ。夏の頃とは明らかに違う『いろ』で私は確かにものを見ていた。違う、という感覚はとてもリアルなもので、大阪にいた時の寒さでは体験できないものだった。

 もちろん、寒さの質だけが要因ではなく、その時の自分の感情であったり様々な事情が重なったからこそ感じられた事だったのかもしれないけれど。

 こうして思い返しながら書いていると、今年はどうしても寒い思いをしに京都に行かねばと思ってしまう。果たして、あの時と同じ寒さを味わうことができるんだろうか?

 なまぬるくて心地いい空気と、冷たい温度の対比が、私の記憶のなかでどんどん増幅してゆく。

 全く同じは無理だよな、とどこかで否定しながらも、やっぱり何にも裏切らない京都を信じている。

 ガイコクジンとゆくハイパー観光・京都

text/広田アミコ 兵庫県立景観園芸学校/兵庫県淡路島

 ある春の日、カナダ人学生と京都観光をするはめになり、困り果てたツアコンの私。

 祇園での禅ディナーを喜んでいるのかと思えば、「豆腐も海藻もまずくてだめだった!」とこぼしている言葉を小耳に挟み、誰もが日本趣味てんこ盛りの京都を期待しているわけじゃないのね? と少し疑ってみました。

 観光を非日常的散歩程度に考えるなら、そんなに気張って名所巡りしなくてもいいよね。

 夜遊びしたいなら丸太町のクラブ・メトロへ。これも又日本の誇れる文化哉! お買い物には東寺の弘法市。蚤の市で見慣れた和モノも彼らにはエキゾチックに映り、手頃な値段で掛け軸ゲットしてご機嫌。でもやっぱり極めつけは、作庭家に弟子入している友人が案内してくれた高台寺の夜桜ライトアップ現場。普段入ることのできない舞台裏を見ることでVIP気分も高まります。誰もいない静かな夕暮の庭は最高の土産話。こんなハイパー観光ができるキョウト。彼らが再訪を切望したのは言うまでもありません。

 ほんに嵐山

text/chiezo 学習教室指導/三重県桑名市

 キャッチフレーズは、「ノスタルジー」と「癒しの宿」だった。

 泊まるなら市内より嵐山あたりの方がいいだろうと思っただけで、「豪華船にて送迎」と書いてあった事にもたいして疑問を持たず、船着き場に着いて初めて、旅館までは車が入れない事を知った。歩けば川伝いに20分。「豪華」には異議があるものの、その送迎船で夕方旅館に着いてしまうと、辺りには川と木があるだけで、建物の中にロビーも売店もない木造の「ひなびた」宿。山歩きにはもう暗く、温泉にでも入る以外にはすることがない。

 確かに、窓から見える景観は素晴らしく、春から夏にかけては緑一色。秋は鮮やかな紅葉が目に浮かぶ。窓を開けようとしたら「猿が入って来ますよ」と言われて慌てて閉めた。多い時は30匹も来て、一度侵入すると出て行ってもらうのに苦労するらしい。

 夜になり、ズズーンと響く音がしたので、ダンプの振動かと一瞬錯覚を起こし雷と気づくまでに少し時間がかかった。真っ暗な空に閃光が走ったかと思うと、山が怒っているかのような激しい雷鳴。それが静けさの中で恐ろしく響く上に、だんだん激しくなり、藪の中では猿がギャーギャー騒いでいる。何だか落ち着かないでいると、今度は、キャーッ!という叫び声。外を見ると、食事に来ていた保育園の先生グループが。最終8時半の船で帰る所だったが、暴風雨の中では必死で押さえている傘もほとんど意味がなく、無情にも服はグッショリ。お食事会の結末はさんざんだ。

 夜10時を過ぎて、仲居さんが真っ暗な道を今からバイクで帰ると言うので驚いた。軽の車でギリギリなので、よく踏み外すというのに、国定公園のため、電気一つつける許可が下りないのだそうだ。

 ようやく雷もおさまって、やっと安眠しかけた頃、平屋の建物がガタガタ揺れ出した。今度は地震で結構長く揺れている。土砂崩れが起きたら、すぐ下の川に吸い込まれてしまうだろう。土砂に埋もれて冷たくなった自分の姿を想像するとおちおち眠る事も出来ず、ノスタルジーに疑問を抱きながら、いつのまにか朝を迎えた。

 「嵐山」は嵐の山だったのだ。

 うちらのキョウト

text/一般募集分

バプテスト病院

瓜生山の麓にたつ妖しいサナトリウム。ここに腸炎で2週間入院したことがあるが、同室は看護学生と淡い恋に陥った在日韓国人と脱走癖の抜けない入墨入りの元極道。薄いカーテン越しに聞こえる恋の戯言、修羅場をくぐってきた者だけに許される「殺すぞ」なんていう恐ろしい寝言。毎夜聞こえ続けたピッピッという心拍音が途絶え、医者たちが走り回った夜もあった(次の日からその部屋は空室になった)。ホスピスも併設されていて、棺の搬出シーンを目撃することも何度か。こないだ見に行ったら新病棟ができていたが、それでもおそらくかなり濃い体験ができることは必至の病院。(竹ムラ)


茶の道 正座番

2年程前、表千家家元での短期講習会に縁あって行かせてもらった。10日余りの間堀川の妙顕寺に泊まり、毎日毎日お点前お点前の日々を送ったわけだが、あの時の「正座」はまるで拷問、針の山にでも座っているような気分だった。最初の1・2日目くらいは普通に痺れては治りれては治りの繰り返しだった。それが3・4日目になると皿が割れてるんじゃないかと思うくらい膝が痛くなりはじめ、周りからみたらもぞもぞ動きっぱなしのかなり目立つ状態になった。5日目には足の甲が腫れあがり、もう精神統一どころじゃない。他人のお点前なんてどうでも良くなってきて、もう足が痺れていることしか考えられない。結局慣れの程度によるのかも知れないが、やっぱり私は正座素人、気が付けば講習が終わってから1週間は普通に歩けず、半年くらいはまともにに正座ができないカラダになってしまっていたわけで。(よしこ)


一乗寺〜高野界隈

学生も多いがヤの付く人も多いらしく、微妙に混沌とした雰囲気。安くておいしい行き付けの金ちゃん、豚の角煮が乗ったラーメン天宝、寅キチ一色の蛸虎、今でも通ってるZAZOU、今や超メジャーなけいぶん社・・・。あんまり京都っぽくないのに、桜並木や川や叡山電車はやはり都の風情。(アツ)


苔むすトコロ in 京都

あれは初めて銀閣寺に行ったときのこと。庭で私が見たのは、みっしりとベルベットの如く植わった苔。しっとりとしたあの質感と、岩や土を這うような低い目線の苔パノラマに心を奪われた私。あぁ、京都の苔が懐しい。(ヤマザキシノブ)


錦小路

威勢のいいお兄さんと客のやりとりが響く中、ぽってりとツヤッぽい聖護院大根などが大胆に横たわる。京野菜たちは漬物や煮物といった京都の技を身にまとう前の姿にも、独特の魅力を持つ。歴史とか美意識とかいったことで、旅人を悩殺する京都とはまた違う面が見られるようで心地よい。小さな店が逞しく貪欲な面構えで軒を連ね、食材のライブが繰り広げられている。生きる営みの源が放つパワーが素直に感じられ、「京都のお客さん」という立場でもリラックスしてしまうような空気が流れる。(マツモ)


川端散歩

五条くらいから北上するのが良い。四条辺りの「京都」な龕灯、件の整列アベック、顔にあたる柳の枝、丸太町辺りで疲れて亀橋で休憩。出町の三角州を経由して鴨川から賀茂川へ沿って下賀茂神社を通り、植物園まで犬を見ながら歩く。高野川に沿って桜並木を見るも良し。冬はユリカモメが飛来。(アツ)


京華喫茶

とても有名なお店「ソワレ」。外からみると中は暗くてよく見えない。青い光が店内を映し出している。ここはご主人が「女の人が奇麗にみえるから」といって店内の照明をブルーにしちゃった喫茶店。ソーダを注文すると、なかにカラフルな緑、青、赤、黄色の透明ゼリーが入っている。とぎれずに縦にのぼっていく泡をみてたらなんだか水族館にいるみたい。そんな時は静かに目を閉じてソーダの泡沫の音を聞きながら、うたかたの休日過ごすのがお薦めです。(一柳 麦)


京都の庭

大楠の青蓮院、室と庭との調和が印象的な詩仙堂、紅葉の祗王寺、荘厳の泉涌寺、朝靄の慈照寺、壮大の知恩院、神秘の大徳寺東海庵…ひとけのない庭にどうしても惹かれる。溜息ばかりが洩れる名庭は、自転車でいつだって行ける至極のナゴミ空間だった。(竹ムラ)


京阪電車

その軽やかな揺れ様はまるでユリカゴ。淀から関目あたりまでは熟睡ゾーン。もはや愛してました。七条京橋ノンストップがなくなってちとショック(竹ムラ)

三条駅の売店でひそかに売られているお弁当。みためはしょぼいが素朴でおいしい。ついつい買ってしまう。駅弁もおさえているとは。

やるな…京阪。(こじろう)


京雀路地

風のない穏やかな日、路地の間をくぐって角を曲がればどこか知らない世界につながっていると思っていたあの頃の、そんな世界が街の隙間にポッカリと口をあけて待ちかまえています。京都の家々には競って樹々が植えられています。キンモクセイ、ギンモクセイ、クチナシ、etc…。香りが漂ってきたらご用心。街の明りに照らされて隠れる場所のない体と心があちらの世界に行こうとします。路地の向こうはきっと鏡の裏側につながっているのだと思う。(一柳 麦)


京風らーめん

今まで刷り込みされてた京風らーめんのイメージは、デパート食堂街に入ってる店。京都に来てからファンタジーだと気付いた。スープは濃い色、コッテリ味。麺もちぢれてなかった。ラーメン博物館なんかのおかげでリアル京風ラーメンもだいぶ認知されてきたけど、全国のみなさん!観光のついでにラーメン再確認なんてどう?(ちば)

 イラストdeキョウト

illustration/山中かよこ

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