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畑創刊号「よもぎの号」

ネタ詰まりの激しさでついに終焉したIdletalkにかわり2002年6月に登場したのが「Idletalk extra edition 畑」です。土と緑、なぜかいつのまにか友の会ダブルヘッダーがそんな関係の職に就いてしまった余り偶発的に発生したとの感がとても強いペーパーです。
読者層がIdletalkの10代後半〜20代前半・女性から20代後半〜30代・女性へとシフトしたらしく、これまでの取扱店では手に取っていく人がおばちゃん主体になったとの噂すらあります。

メール対談・真のナゴミは、森にある

ベランダ日月抄2002

ミソジ変化率

祖母の愛情、土の恩返し

海月館通信

アミコラム

 

メール対談・真のナゴミは、森にある

text:フジガキアツ+タケムラナオヤ

なぜ、今畑なのか。
アツ どーも、新創刊ですね。わけ解りませんよね、「畑」って。しかも「よもぎの号」だなんてね。「?」と思いながら手に取った皆さんも沢山いてはるでしょう。このフリーペーパー「畑」は、ユルいくせに案外タメになる、土と植物、それにまつわるよもやま話をあつめたペーパーです。編集部もライターも皆どっかで植物に関わる仕事をしてたり、日頃土をいじるのが好きだったりとゆー、何とも牧歌的なペーパーであります。
 とまあ妙にかしこまって始めましたが、皆さんよーく周りを見回してみてください。植物を育てている人の何と多いことか! ホラ隣のお嬢さんも、御近所のお父さんも、おばちゃんも、ベランダや庭に色とりどりの草花を植え、公共の道路に発泡スチロールのトロ箱製のプランターを並べ、窓際にサボテンを置いているでしょう。園芸人口って相当多いと思うんですよね。あるいは自然に囲まれて暮らすことへの憧れは、何時の時代でもあるもんです。来たるべき高齢化社会に向けて?皆で土をこねくり回そうよ! ってのがこのペーパーの主旨、なのかもしれません。よね? タケムラさん。

タケムラ そーですな。なんかどんどん変な方向へ行っているような気もしますがね、やっぱり時代は土なんですよ、もうね。原点回帰といいますか、土や緑ってのはやっぱり触れている限り和むんですよね、心も体も。
 アツさんの言うとおり、都会では草花にまみれる暮らしへの憧憬があって、今なんか苔や盆栽にまで注目が及んでる。ちょっと危ないな〜このままじゃ前葉体ブームがやってきかねない! と四国の片田舎に住む人間からしたら思うんですが、園芸ってのは一時期のブームを超えてすっかり市民権を得た感がありますよね。
 それを超えると、田舎暮らしへの欲求への転化ですよ、最近は四国へもたくさん都会人が移住してきて農業したり、マタギをしたりしている。実は単調な都会暮らしに比べれば、田舎の自然の中に暮らすってのはきっとよほど様々な物事が起きるワンダーランドなんですよ、彼らにとって。
 で、このペーパーは「畑」という名前です。なんといいますか、こねくりまわすのは土でも草でも何でもいいと思うんですがね、つくりたいもの、表現したいものをこの畑につくっていこうというわけです。
 まーもうそこらへんのペーパーが「純」サブカル的なことをやっているじゃないですか、いつまでたっても相も変わらず。まーたぶん『relax』とか読んで言うんですよ、「このゆるい感じがいいよね」なんつって。
 もーそういうなんだか都市的な寂れた世界のものなんて要らないですよ、もう飽き飽きです。そうじゃなくて、これからはもっと原点的、土的世界のものが来るんですよ。え?それじゃあほとんど宗教じゃないかって?

アツ だから〜、タケムラさん、そんなとこで「マタギ」だの「〜的世界が来る」だとか言っちゃあだめですよ、皆に怪しまれちゃう。決してプチ・カルトじゃなくて、一言で言えば「超・relax、真・relax」って感じかな。

タケムラ そーね、いやなんかニュアンスの問題で、とても説明しにくいんですよね。ま、あなたの言うとおり、そんな感じです、はい。

盆栽ブームの光と陰。
アツ まあ創刊時の抱負はこれくらいにしといて、今タケムラさんも言ってた苔・盆栽ブームなんですけどね、凄いですよ、まさに。私の働いてる店でもバカ売れしてます。以前は盆栽コーナーなんておじ様方くらいしか見る人いませんでしたけどね、今や若い男の子やカップルまでミニ盆栽を買いに来る。「おいおい、育てられるんかい?」みたいな。取材も色々来てますよ。タウン情報誌やら何やら。実は先日の日刊スポーツ関西版にミニ盆栽のコラムが掲載されたんですけどね、私うっかり顔写真が載っちまったんです。盆栽持ってにっこりってな具合で。うわっ、寒。
 まあブームはいいんですけどね、儲かってますし。ただ、お願いだからちゃんと頑張って育ててあげてね、って思いますよ。水やりは勿論、植え替えも施肥も剪定も必要だし、虫とか病気が発生しても放り出さないでほしい。飽きたら捨てるじゃなくて。コ洒落た雑貨屋なんかにもここ数年苔玉とか置いてあるようになりましたけど、半分以上はその場で干からびてるし。胸が痛みます。

タケムラ 最近は木炭に苔や草を生やすのもはやってますよねえ。あれって、ちゃんとしてるのはほんとにきれいでびっくりします。なんか自然の世界じゃありえない風景なんですけどね、なんか妙な落ち着き感醸し出してるってゆーか。
 でも、枯れたらというかダメになったら汚いだけですね、あれは特に。こないだ会社の営業所行ったら、なんか苔というよりも菌という感じの薄い緑の膜が炭を覆っているんですよ。むしろあーなんか自然だーって思うんですが、ああなってしまうとちょっと寒いですねえ。
 で、盆栽や苔玉とかも同じですよ、大体の人のその後の報告って、「枯れた」じゃないですか。で、枯れたらまた新しい苔を買い、同じことを繰り返してる。そんなんだったら山でも行って苔取ってこい!って思いますよ。ところで、どーでもいいけど苔ってモスって言うんですね、知らなかったっす。

アツ そうですよ、酸性土壌にするために使うピートモスってあれ、苔が沼なんかにたい積したものなんですよね。あ、そー言えば思いだした。かれこれ二年くらい前、クマとかの形したトピアリーに緑色に着色した苔をはっ付けたオブジェがプチ流行したことあったっけ。「モスべアー」っての。着色されてるから勿論死んでる苔なんだけど、汚いんですよ。あっという間に廃れましたけど。
 流行って言えばねえ、今いちばん強いのはやっぱり「虎の尾」でしょう! 知ってます? サンセベリア。リュウゼツラン科のあれ。「マイナスイオンがたくさんでる植物!」とかなんとかで、『あるある大辞典』で最初に紹介されたらしいんだけど、もーバカ売れ。仰天の売れ具合。放送後しばらくはサンセベリアの奪い合い。今は漸く落ち着いたって感じですけど、未だ価格は高騰中。んなアホなって感じ。マイナスイオンて・・・。一昔前までは駅の植え込みなんかにゴロゴロしてたのにね。
 大体「虎の尾」って名前が気にくわん。俗名ってムカツク! 所謂「虎の尾」として出回ってるのは、サンセベリア・ローレンティってゆー黄覆輪緑縞の品種のことなんですけどね、まあ百歩譲ったら虎の尾っぽにも見えないこともねえよ、って感じ。「トラノオ」って言ったら普通の園芸人はオカトラノオとかヌマトラノオとかの、サクラソウ科オカトラノオ属の草花のこと思い浮かべるんですよ。ややこしいっつーの。
 どうせこれもブームとかでね、目の色変えて買い漁ったおばちゃん達もそのうち「なんであんなモンこうたんやろ、邪魔やわー」とか言うことになるんですよ。まあいいですけどね、サンセベリアは強いから。並のことじゃ枯れません。邪魔だからって、早々無くなってはくれないのだ。思い知るがいいさ!

里山へ行きたい!
タケムラ これこれ、まあ落ち着きなさいや。そこまでいったら読者の人々ついてけないっすよ。てゆーか、その虎の尾ってあれですか、山野草? 高知市内でホソバヒメトラノオっていうレッドデータの植物が生えている山があるんですけど。

アツ おっとごめんなさい、つい興奮してしまいました。だってね、虎の尾熱も冷め遣らぬというのに、『あるある』でアロエを特集するらしくて、各花屋が一斉に買い占めたために現在関西の市場にはアロエすっからかんらしいんですよ。放送の翌日にまたオバアオジイがアロエ目当てに店に押しかけることを考えるとウンザリします。・・・ええと、何でこんな話になったんでしたっけ。あ、トラノオか。
 そうです、山野草。白い花が穂状に咲いてるアレ。ホソバヒメトラノオですか。大事にしなきゃ、そんな山は。アア、いいなあ、山歩き・・・。いい季節ですよね。山に行くには。

タケムラ 最高ですよ、山は。特に里山。なんかカフェに続くナゴミスポットとして密かな注目を浴びているとかいって新聞にも出てたりしますからね。
 で、今年の春まで高知の里山を調査してましてね、その山の植物を調べてたんです。まーいろいろな植物がありますねえ、世の中には。同じような葉っぱなのに全然違う科だったりとか、なんでこんな雑草が貴重なの?みたいな感じで。奥が深すぎて恐いですよ、ぱっと見てわかるのなんて二十種類くらいなもんで、あとは分からないですね、図鑑片手で歩いていても。
 それで他にも古道を全部歩いてみたり、お墓について調べてみたりしたんだけど、かなり楽しい仕事でした。え! こんな人が? なんて墓もあったりして。自由民権運動の名士、土佐藩の有力者、画家、医者と・・・。で、いろいろな人にも会ったんですね、植物家、昆虫屋、歴史家、動物家と。それでいろいろお話を聞いてみるんですが、なかなかみんな勝手ですよ、いい意味でも悪い意味でも(笑)。
 ある棚田でのことなんですけど、そこに昔絶滅危惧種の木があったらしいんですね。でも、それが刈り取られているのを見て、
「こりゃいかん! 前にあればあ切ったらいかんゆうちょったに全然わかっちょらん! 今度手紙でも置いちょかんと(以下略)」
 とか先生プンプンしながら立ち入り禁止ってなってる私有地に入っていったりとかするんです。タンボなんだから仕方ないじゃないですかとか、生活かかってるんですから彼らも・・って思うんだけど、やっぱりそういう訳にはいかないんですよ。

アツ なんかタケムラさんかなり楽しそーな仕事してますねえ・・・。いいなあ。
 実はあたしの実家は山を幾つか持ってまして、ちっちゃいころから家の年中行事みたいな感じで、春は山菜取り、秋はキノコ狩りにしょっちゅう出かけてましたよ。こごみ、ウド、タラの芽、ワラビ、ゼンマイ、セリ。セリ採りに行って田んぼのシロに頭から落ちたり、ワラビと間違えて蛇の子供の頭をつかんだこともありますね。カタクリとかニリンソウの群生って超きれいですよ。秋のキノコ狩りでも、うっかり毒性のあるキノコを食べて家族全員で寝込んだこともあったっけ。今も解りますよ、食べられるキノコと毒キノコは。
 今も帰省したら家族で行きますよ、山。スコップとビニール袋とか持ってね。採っちゃいけんもんは採りませんけど勿論。この前通りすがりの普通の杉林にザゼンソウの群生を見つけちゃいましてね。こりゃあ保護しなあかん!って思いました。近所の家の人に御注進に行こうかと思ったくらい。ああいう貴重な場所が結構あるんですよね、未だに。
今密かに野望があるんですよ。野望っていうか希望。日本の山林てどうしても杉林が多いじゃないですか。戦中に国策として植林したらしいんだけど。ちっちゃいころからどうも杉林って嫌いでね。暗くてじめっとしてるし下草もあんまり生えないし。紅葉も落葉も芽吹もなくて、年中見た目が変わんない。うちの持ち山も半分以上杉林なんですけど。あれをね、どうにかして雑木林にしたいと。誰か杉材を格安で買ってくれないかなあ。そしたらその売上金で雑木を植樹するんですけどね。カバとかナナカマドとかクルミとかカシとか。

タケムラ いや山をお持ちとは知りませんでした。どおりで山に詳しいわけです。まーまた今度高知きたら里山巡りしませんか? 僕はまだまだ素人に近いんですが、ぜひ。
 それにしても、なんだか結局宗教じみてきますがね、ワタシもそうしたいんですよ、雑木あるんですけどね、まわりは杉・桧林とコナラとかの雑木林、すでに極相状態のシイカシ林、竹林と、もーまさに里山のどまんなかにあるんです。で、年に一回くらいその里山に入って伐採とかするんですが、もーあれですよ、彼らは何が大事か全然分かってない。杉桧はまず大事にされますね、金になるってのもあるんでしょうけど、全員が知っている木なんてそれくらいですからね、杉桧はとにかく大事にされます。
 次に竹林。タケは三年目以降の古竹を切らないといかんのですが、なぜかここでは新しい竹ばかり切ってます。新しいのは価値がないってことなのか、もうタケノコ掘りをしたくないからなのか、なんだか滅茶苦茶ですよ。
 で、雑木林に至っては大変ですね、コナラの幼木とかなんて彼らにとっては価値はゼロなんでしょうかねえ、なぜかヤブツバキとかアラカシとか常緑樹を残して落葉樹を切り落とす癖があります。それにね、今年なんかこの五月に下草刈りをしようとしてるんです。この時期にやってもいいんですけど、彼ら徹底的にやってしまうので、必ず幼木を切ってしまうわけですよね、そうしたらもーいつまでたっても雑木林は育たんわけです。だから今年は森に入るな!だなんてナウシカかサンみたいなことを言ってしまいました。
 まあこんなですからね、おいおいちょっと待て〜とか言ってももう後の祭りですよ、タラノキもいつ芽を全部摘まれるのか冷や汗ものです。まあ切る人ってのはちょっと昔の拡大造林の時代の人とかなんですけどね、きっとほとんどの人はこんなもんなんでしょうね。

お町を捨てて、お山に出よう。
アツ 何か燃えますねえ、そんな話を聞くと。殴りに行きたいくらい。
 別にナントカ団体みたいに愛護とかいうポリシーは持ちあわせてないし、ヒーリングとか怠いことは言いたかないですけど、
単純にいいって思うんですよね、雑木林。どんぐり拾いたいじゃないですか。栗とかアケビとか、山葡萄とかおいしいですよ。いい匂いでしょ、落ち葉の匂いとかも。天然腐葉土。杉林じゃキノコも生えねえよ。山崩れもしやすいし。桧はまあいいとしても杉なんて現在そんなに利用価値あるんですか? 長期的に見て雑木林の方がなんぼか価値があると思うんですけどねー。あーあー、てか何の対談でしたっけこれ。

タケムラ うーん、まあどんどんずれてきてますがいいでしょう創刊号だし。
 まあ雑木林の価値は当然あるとして、高知みたいに県の八〇%以上が山林でしかもその六、七割が植林地なんてところだとそうも言えないんですよね。まあ杉桧もきちんと手入れさえすればいいわけですよ、。ただ、どこもアレ荒れですよ、もう歩くの不可能なくらい。まあこれからは馬鹿な造林政策をやめて、杉桧のことしかまともに教えない林学科を廃止して、もっとまともに森を語れる人をつくることでしょうね。
うちの会社にも林学出身が何人かいますけど、大学じゃあ杉桧のことぐらいしか教えないらしいですよ。しかも杉と桧の見分けもつかないんです。えー?まじで?てな感じですけど、そんなもんなんですよ、日本の森にまつわる教育は。
 まあそんな小難しい話はいいとしてですね、やっぱ森。とにかくですね、もうお町ばっかり眺めていても窮屈だなあと思います。まあ川でも海でも山でもなんでもいいんですけど、やっぱぼーっとのんびりできますよね、それを言い出したら農村漁村も同じなんですけど、本当のナゴミってのはああいうところにあるんですよ、きっと。

アツ ですねー。ナゴミねー。カフェだなんだって言ってても結局躍らされてたりしてますしね。ナゴミ系ってカテゴライズされた時点で既に息苦しくなりますし。空虚です。お財布もカラに。
 それにくらべると、土とか水とか緑とかって、どっか必ずあたしたちにとって必要な部分ですよね。だからあえて「これが癒しよ」って言わなくても、逆に例えそーゆーブームに乗って騒がれて使い古されたとしても、変わらずに常にそこに在りつづけるし。そのクールな普遍性が気持ちいい。
 まあ土関係って言っても和んでばっかりでもないですけどね、虫とか病気とか。貧しさとか政治とかね。

タケムラ そういう意味ではですよ、森の中にカフェつくったらどうなんでしょうかね。そしたら究極のナゴミですよ。そこらへんのチャノキを摘んでお茶つくって、苔の絨毯に座り込む。もちろんおやつはドングリで。トースト出すなら野いちごジャム。酒を出すならクワ酒ですね。机も椅子も当然そこらへんの木で組んでね、突然壊れたりすんの。
 そういう意味では里山バッチシじゃないですか。原価もかからんし。まあ一歩間違えると火垂るの墓ですけどね、あーやりてー、里山カフェー。

アツ ええー、めっちゃいいじゃないですか。儲けは全く???な感じですけど。キノコ焼いたりね。イノシシ焼いたり? お酒なら、秘酒「猿酒」ってのもありまっせ。ただしこれはホンマに希少ですが。保健所から許可おりないって。でもいいですねえ、そんなの。

タケムラ まあそれはそれでですよ、ワタシこんなこと言っていますけどね、こういう暮らしへの願望が出てきたのって結構最近なんですよ。
 ですからね、まだ木の名前も山の味も野の味を知らないんです。まだ入口をちょっとくぐったくらいのもんですね。ただ、色々な人々との出会いの中でこの世界に誘われていったというか。

アツ そういや多いね、周りに。
 まあ今後も色々そんな人たちの話を聞いていきましょうよ。じゃあ次号は害虫病気いっぱいの盛夏号で。さいならー。

ベランダ日月抄 #1

text:フジガキアツ

 我が家はマンションの中庭に面した一階にある。当然ベランダはバッタや害虫やイタチまでやって来る、生きもの溢れる箱庭である。いちばんの常連はノラ猫たちだ。あれは三年前、ひょっこり現れた小さな黒猫を手懐けた時から、今に至る長い蜜月の時が始まった。

 その子がすっかりでかくなって発情し五匹の子猫を産み、それぞれが巣立っていった。そしてそのうちの一匹がまた二匹の子の親になり、現在はすっかりふてぶてしくなった初代黒猫の子がさらにこの春子猫を産んだ。ピーピー泣いてしっぽがぴんと立った五匹の子猫達はまだよちよち歩き。

 ちっちゃなころはやたらいたずら好きだ。遊びに夢中になっては、所狭しとおいてある植物の鉢をひっくり返したりする。根っこむき出しで鉢ごと転がっているのを見つけたときは一瞬だけ、ムラッと怒りが湧く。でも遊び疲れてくーくー寝ている子猫を見ていたら、余りのかわいさにしょうがねえなあと苦笑い。でもリュウビンタイの新芽をボッキリ折られたときや、風知草やワイルドオーツの新芽を猫草代わりにむしゃむしゃ食べられたときはさすがにブチ切れそうになったけど。やつらはいっちょ前にドスの効いた声で餌だけねだるくせに、ちっとも触らせてくれない。まあいいんだけどね、ノラだし。

 羽根の生えたアブラムシが鼻の頭に止まっているのをとろうとして自分に猫パンチを繰り出していたり、やつらの通り道に置いてあるミニバラのやわらかい刺に猫の毛がいつもフワフワ付いていたりする。冬はモコモコの毛玉になり、夏は床にべたーっと伸びて、上目遣いにあたしを見上げる。それなりにドライで、それなりに暖かい。いい関係。いつもひっそりやって来てはあたしが土いじりしているのをじっと見ている。かーわいいのだ、ウフフ。

ミソジ変化率

text:タオカマユミ

 気がつけばあと数ヶ月で30歳を迎えてしまう。30代なんてまだまだ先のことだと思っていただけに、ちょっと複雑である。ちょうど10年前、20歳になった時のことを思い出してみる。あの時はお酒が飲めるようになるとか、大人の仲間入りが出来るとか、とにかく大はしゃぎしたものだ。また、ほんの少しだけ先に20代に突入した大学の先輩達の、「おとな論」みたいなのを聞いて妙に関心したり、まー素直というか若いというか、なにはともあれ青春を謳歌していた。

 さて、次なる30歳を迎えるに当たってどういう心境かというと、はっきりいってあの時のような盛り上がりには欠けている。どちらかというと、噛めば噛むほど味が出る乾物の魚を料理する前の心境に似ている。私の場合、静かに魚と対峙している様に見えて、実は心中おだやかではない。いったい自分の歯がこの乾物を最後まで味わうだけの強度はあるかとか、この魚と相性のいいお酒のこと、この魚を最高に引き立たせる焼き加減についてという具合に結構思いをめぐらせているのである。

 恐らく、20代の頃の私ならば、趣向が凝らされた魚や肉料理に真っ先に目が行っていた筈である。このように今まで重要視していなかったものが、いつの間にか気になり始めた例は他にもいくつかある。例えばお茶の味のこと、今まで雑草にしか見えなかった野草のこと、花を生ける花瓶のこと、果てはコスメの銘柄などなど・・。しかし、実の所このような自身の変化を自覚するようになったのは、ごく最近のことになる。自分でも気がつかないうちに、体は30代の準備をはじめていたのかもしれない。

 いずれにしろあれこれ考えた所で実際に30歳になった途端、何かが変わるわけでもない。とりあえず、がむしゃらに走りつづけた20代とは少し違った静かな目線で、30歳の自分を見つめてみるというのも案外いいかもしれない。

祖母の愛情、土の恩返し

text:ハッピーリーフ

祖母は、もうすぐ78歳になる現役バリバリの農業ウーマンなのである。朝早く起きて、夕方まで土に向かう毎日。たまにしか会わないが、いつも笑顔でキラキラと輝いている。
祖母の愛情を一身に受けたお米や野菜は『食べろ』といわんばかりにキラキラとしていて、おいしい。ひょっとしたら、祖母は大地に愛情を注ぐかわりに、不思議な“大地の恩返し”パワーをもらっているのでは?だから、あんなに元気で、土に向かうことが大好きなのだ。
祖母の笑顔は最高に素敵だ。その笑顔は大地から得たパワーのお陰。私はただただ感謝するばかり。
ありがとう大地、ありがとうおばあちゃん。いつも私の胃袋と心を満たしてくれて。

海月館通信 第一稿 太陽の匂いがする人

text:海月館夫人

 好きな男の子の条件に「太陽の匂いがする人」というのが、中学生の頃の私には密かにあった。汗くさかったり、コロンの匂いがしたりする人はダメ。色のついた風のような匂いがする人。それは現実的な匂いなのか、醸し出す雰囲気なのか、いまだによくわからないけど、永遠の少年のような人に憧れていたのだ。多分、白馬に乗った王子様を待つ気持ちとさほど変わらない。でも、なぜ太陽の匂いなんだろう? 最近、それが土いじりが大好きな父と関係していると思うようになってきた。

 父は普通の会社員だが、趣味で畑を持ち本格的に野菜を作っていた。白菜、大根、とうもろこし、ニンジン、キュウリ…ときにはスイカやメロンもあった。子どもの頃の私にとって、畑仕事は楽しい遊びの一つだった。自分用のシャベルを持って父の後ろをついて歩き、お手伝いのつもりでいろんなところを掘って回った。野菜の成長過程を見たり、もぎたてを食べたりするのも楽しかった。

 その後、父は仕事の関係で家を離れ、単身赴任生活を送ることになった。私も中学生になり、自分の世界が少しずつ始まりかけていた。畑にはもうなにも実らなかった。たまに会う父はいつものように土の匂いはしなかったけど、中学生の私を1人前のように扱い、二人で慣れないフランス料理を食べに行ったりした。離れて暮らしているだけ、私は案外、父親っ子だったのだ。

 現在、私は実家とは遠く離れた地で、彼と猫と暮らしている。先日、久しぶりに父からメールが届いた。今年の五月で四十年間のサラリーマン生活を終えることが書かれ、最後に「畑仕事でもしながら過ごそうかと思っております。収穫の時期が来たら送りますので楽しみに」と書き添えられていた。

 晴れた休日、あのときの父と同じように、かがんで庭いじりをしている彼の背中を、私はとても愛しく思う。

アミコラム 太陽と月の巡る暦

text:ヒロタアミコ

 ここ数年、暦に興味を持っています。特に農暦や歳事記に。太陽暦、旧暦は、植物を育てるのにとても大切な気がします。月齢や潮の満ち引きも一応は気にしていますが、新月と満月の認識程度に留まっています。

 一年を24と72に分割する二十四節気と七十二気候というものがありますが、これを生活に組み込むと、なんだか無味乾燥に思える日常が途端に活き活きとしたものに感じられ、不思議です。

 だいたい、季節感や旬というものを失いかけている人間が多すぎるわよ!!!と三十路を前にして、年を重ねるとともに、生きざまへの注文も多くなる、今日この頃。

 特に土いじりをしたり花を育てたりしなくても、ちょっとしたきっかけで毎日がとても味わい深いものになるような気がしております。人生は、長く楽しく、スルメのように、噛んで、噛んで、味わうもの哉?!(ヒロタアミコ)

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