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絶版
唯一京都で編集作業を行った号。仏フェチ・ヤマネ氏を編集長に迎え、ジョウ・マミらグラフィック系の人間を中心に一切の作業を断行。また、外部からもライターを多く招き入れた希少例で、カメラトーク友の会の色は薄い。
この号の頃、タケムラは高知の20W製作所から発行していた[Hai;e]というフリーペーパーの編集に夢中になっていた。

DATA
フリーペーパーIdletalk第4号
1998年12月発行

Idletalk 04-1.pdf(839k)

Idletalk 04-2.pdf(194k)

古寺散策のススメ/須藤智也

仏像鑑賞の手引き〜初心者・中級者向け/高柴季史子

仏の顔は何度まで?.../広田アミコ

世紀末JAPAN仏像シーンを語る!/安井健次

ブツダラな日々/山根しのぶ

あなたにとって仏像とは?

 古寺散策のススメ

text/スドウトモヤ

 皆さんの修学旅行の想い出って何でしょう? 先生達の/スドウトモヤ目を盗んで他の部屋に行ったことでしょうか?それとも枕投げでしょうか? いずれにしても、昼間よりも夜の出来事を覚えているのではないでしょうか。私自身、中学生の時に京都・奈良に行きましたが、正直言って、慈照寺(銀閣寺)と石舞台しか覚えていないのです。それらでさえ自分で撮影した写真が残っているからであって、「記憶」というよりもむしろ「記録」なのです。時間的な制約があったからかもしれないですが、いいものに触れる機会がありながら、ただボンヤリとサラっと見てしまったので、記憶に残っていないのでしょう。それから10年以上経って再度京都を訪ねてみましたが、見方を少し変えるだけで古寺を訪れることが楽しめるのだということを改めて感じました。そのポイントをここで紹介し、皆さんにも是非古寺に行って頂きたいと思い、今回執筆致しました。

 古寺を見るに当たって、建築物、庭園そして仏像の3点がチェックポイントとなるでしょう。今回はテーマである「仏像」の見方を中心に紹介したいと思います。決して「古寺巡礼」なんて大げさなものではなく、散歩気分で気軽に仏像に会いに行く。そんな「古寺散策」のススメです。

 仏像を見るときに必要なものと言えば、懐中電灯、双眼鏡、朱印帳です。まず、懐中電灯ですが、時として仏像が暗いところに安置されていたりするので、その場合に懐中電灯がかなり役に立ちます。普通の光量では見えなかったものが次々に浮かび上がりちょっぴり得をした気分になれます。次に双眼鏡。これも懐中電灯に似たような感じなのですが、仏像を遠くからしか見えないような場合に威力を発揮します。アップで見ると、表情が変わって見えたり衣服のデザインの細かい部分まで見ることが出来たりして、これでまた、ちょっぴり得した気分になれます。最後に朱印帳。これは皆さんには余り馴染みのないものだと思います。寺や本尊の名前や参拝日などを墨書で書いてもらうもので、これは「記録」として残ります。何だか仏像本人にサインをもらった感覚になり、ここでもちょっぴり得した気分になれます。それに、スタンプラリー的な要素もあるので、ゲーム感覚でも楽しめます。(って、罰当たりかな?)

 こうしたアイテムを利用して仏像をいろいろな側面から見て下さい。そして、その印象を素直に表現してみて下さい。知識は必要ありません。「かっこいい」とか「セクシー」とか「面白い顔している」なんてものでも良いのです。どんな感想であれ、それはその仏像から受けた直感的なものであり、これこそが「記憶」になる部分なのです。こうしていくと、アカデミックな存在の仏像が身近に感じられませんか? 仏像は肩肘はって見るのではなく、気軽に見て、自分なりの感想を持つことが大切なのです。

 さあ、近所に古寺があるのなら、今度の休みの日に行ってみてはどうでしょう。仏像との素敵な出会いがあるかも知れませんよ。

 

 仏像鑑賞の手引き〜初心者、中級者向け〜

text/タカシバキシコ

 私が仏像の魅力にとりつかれたのは、中2の美術の教科書に載っていた広隆寺宝冠弥勒に出会ってからですが、当時の私は青かったため仏像が好きだなんて恥ずかしくて誰にも言えませんでした。お寺を訪れる財力も行動力もなく、美術や歴史の教科書を眺めては悶々とする日々。中3の遠足で飛鳥へ行ったときは内心嬉しくてうれしくて。高校に入って生まれ変わった私はあちこちで自ら仏マニアであることを公言し、変人のレッテルを貼られましたが気分はすっきり爽快でした。皆さんの中にも仏像に興味があるけどあまり大きな声では言えないと言う人がいるでしょう。そんな貴方、勇気を出して仏マニア宣言をしてください。
 さて今回は仏像初心者から中級者にかけての見仏の仕方について話したいと思います。あくまで私の見方なのでどのように見仏するかは皆さんの自由です。自由な見方が出来るのも仏像の魅力です。また、この他にも魅力的な仏像は沢山あるのですが、とてもここでは紹介しきれません。だからそのほかの魅力仏たちの発見は、皆さんにお任せします。
 仏像を見る時に一番注目してほしいのは手です。どの仏像の手も指は長くしなやかで、掌はふっくらと厚みがあり、とても美しいのですが、それもそのはず、手は仏の慈愛の象徴であり仏のパワーが発射されるところなのですから。
 その手はそれぞれ物(持物)を持っていたり形(印)を造っていたり様々です。また手の数も2本、8本、42本などいろいろです。中には千手観音菩薩といって、手が1000本なんて仏さんもいます。仏像の中でも如来系は大抵が持物をもたず印を結んでおり、この印相が仏像の種類を見分けるポイントになります。その如来の中でも薬師如来だけは左手の掌に薬壷をのせている事が多いので一目でわかるでしょう。皆さんよくご存知のお地蔵さん(地蔵菩薩)は右手に錫杖、左手に宝珠をもっています。また右手に何も持たず掌を見せる施無畏印(せむいいん)の印相を結ぶお地蔵さんもいます。どの仏がどの持物を持つかというのは大体決まっていて、持物によっても仏像の種類を見分けることが出来ます。有名な四天王像(東大寺戒壇院)の場合、剣を持つのが持国天、矛を持つのが増長天、筆と巻子を持つのが広目天、宝塔と宝棒を持つのが多聞天です。覚えて自慢しましょう。
 仏像の種類としては、大きく如来・菩薩・明王・天部・仏弟子・垂迹神の6つにわけられますが、私が個人的に好きな明王の話もしましょう。一般的に明王類は怒った顔つき(忿怒形)をしていて背景は炎(火焔光背)です。いかにも力で悪をねじ伏せるといった姿をしていますが実際その力は無限大だといわれます。じゃあ他の仏の出番ないやんって突っ込みたくなりますが、明王は密教(真言宗・天台宗)にしか存在しない仏なので、そこは了承してください。明王の中でも最も好きなのは孔雀明王です。彼は明王でありながら柔和な菩薩形なのです。基本的に腕が4本(4臂)で孔雀に乗っています。その優雅な姿からは想像もできないほどその力は絶大です。皆さんもきっと虜になってしまうでしょう。
 現在私は学校で専門的に仏像について学んでいますが、趣味に留めておけば良かったかなと少し後悔しています。だって仏像って奥が深すぎるんです。こりゃ一生かかっても極めることはできへんなと悟りました。しかしその奥の深さが魅力でもあるんですが。

 仏の顔は何度まで?鏡を拝んで、南無阿見陀仏。となりのキミに、般若心経。あなたの顔は、何系菩薩?

text/ヒロタアミコ

 奈良の大仏を初めて間近に見たのは小学校の修学旅行。最近、仏像を見たのは、いつのことだったろうか?気がつくと、仏の顔を拝むなんてことは忘れて、俗世間にどっぷりとつかっている日常でありました。しかし、街角を歩けば、ニュータウンはともかく、ちょっと古い町であれば、道ばたや角に地蔵のあるところは多い。お地蔵さんって一体何者?そういえば、某サラ金屋さんのCMは、傘地蔵をネタにしたものだったなぁ。かの有名な瀬戸内寂聴さんも書いておられるように、地蔵は子どもを守ってくれる仏さんである。

 何を隠そう、私の顔は地蔵顔です。ふしぎな顔だとよくいわれます。アルカイックスマイルと一重のはれぼったいまなざし。私自身、勝手ながらこういう顔は東洋ではかなりの割合を占めるのではないかと思っています。ベーシックな顔。プロトタイプな顔と呼んでも差し支えないのではないでしょうか。いやはや、高校時代のある日の出来事。私は窓際の一番前の席に座っておりました。すると、授業中に後ろから何やら回覧が廻ってきたのです。手に取ると日本史の資料集でした。付箋が貼ってあるところを開いてみると、そこには弥勒菩薩半跏思惟像のカラー写真が。何だろうと思って後ろを振り返ると、教室のみんなが口パクで、「そっくり、そっくり!!」とそろって頷いているのです。窓際だったので、ねむたい日本史の授業中、頬杖をついて窓の外に広がる海を眺めていたのでしたが、その格好が広隆寺の弥勒菩薩そのものだったのです。

 ところで、あなたの顔は何系?日本といえども東から西、北から南まで、結構広いです。俗にいう縄文系とか弥生系と呼ばれる顔分類の他に、仏顔別分類というのを実施してみてはどうでしょうか?例えば、大きく仏教を二別して、北方系と南方系に分けたとしましょう。私の顔が京都・太秦の広隆寺、弥勒菩薩半跏思惟像ならば、新羅・加耶系の秦氏族が祀ったものだから、わたしゃ、秦氏の末裔なのかもしれないよ。不確かながら、なんとなく自分のルーツがぼんやりと見えかくれするような気がするのです。豆知識としてついでにいうと、この仏像は、日本国宝第一号です。このようにして、道行く人々の顔を見れば、アンコールワット遺跡に見られるような仏像顔の人もいれば、キンキラキンのタイ仏像系、ちょっと侘寂のきいた道端石仏系、ガンダーラ仏のように彫りの深い濃い仏顔の人。いろんな人がいるもんです。

 暇があれば、地蔵顔、仏顔調査フィールドワークなるものを試みてはどうでしょう。昆虫採集、植物採集ならぬ、顔採集。無作為に抽出したなかから、何系がどこに多く分布するかを調べてみましょう。これは、フィールドワークとはいえ、あんまりアカデミックな調査になってはいけません。あくまで、趣味の領域を出ないように心がけるのが無難でしょうな。無意味だけれど、面白い。民族移動だの、人類の系譜だの難しいことを考えてはいけません。あぁ、いろんな顔の仏がいるんだなぁと、ほんわかした気分になったところでやめておきましょう。あなたなりに、仏像顔をカテゴライズして、自分の顔、友人知人の顔が何系なのかを把握してみるのもなかなか楽しいものですよ。

 世紀末JAPAN仏像シーンを語る!

text/ヤスイケンジ

 仏像は今や、お年寄りに独占されるだけではなく、僕達の世代が積極的に楽しむものになってきている。
ウソだと思っているでしょ。ホントです。
 私の主宰するWebサイト日仏会(注)にも、いろいろな人からたくさんのメールが届きます。しかも文面がいちいち熱い!言ってみりゃ見ず知らずの私に、そんなメッセージを書いて送ってくれるというわけなのであります。しかも世代は女子高生から主婦まで。わざわざメールをくれる人以外にも、黙って日仏会や、その他の仏像サイト(これがまた多い!)にアクセスする人の数は、その何倍もの数にのぼるでしょう。
 今、仏像ムーヴメントが熱い!
 私だって、こんな事態は予想していませんでした。修学旅行や団体ツアーは別として、今まで、仏像好き、寺好きの人達は、個人個人で楽しむのが普通でした。一人遊びが得意のさびしがりやさん、とでも申しましょうか(笑)、「この若さで仏像が趣味だなんて、きっとワタシだけね...」と、めいめいが思っていたかもしれません。そりゃそうです。全国各地の仏好きたちは、何らつながりをもたず、出会う機会もなく、それぞれが東大寺や法隆寺の境内をすれ違っていただけなのだから。
 しかし、時代は確実に変わってきました。
 インターネットの発達は、全国の孤独な仏(ブツ)好きに福音をもたらしました。孤独を好む人達、あるいは分かり合える人が身近におらず、寂しい思いをしていた人達が、地域の隔たりを越えて結び付き始めているのです。「みんなとは違うものでありたい」そう思うがゆえに寂しさを感じ、それゆえに同志を求めて集まるというパラドックス。それは、かつてのウッドストックやパンクムーヴメントに続くものと言えなくもない、と言っても過言ではないかもしれない…(ちょっと大げさ?)。
 仏像を楽しむ時、そこに宗教的な側面はほとんどありません。ちなみに私の場合、仏像をSF感覚で見たり、音楽を頭の中で鳴らしていたり、「この仏(ブツ)ならこのワインを」というふうに、仏とフランスワインを組み合わてみたりしています。みなさんはどうでしょうか。
 今まで仏像に関わってこなかった人達も、「こんなふうに気軽に楽しんじゃってもいいんだ!」ということを教えてあげたい。そうすれば、この仏像ムーヴメントはこれから、仏ビギナーの人にも波及していくことでしょう。
  注)日仏会(にちぶつかい):「日本の仏像を愛する若者の会」

今年からは奈良や鎌倉の寺めぐりなども行い、ネット以外の活動もしている。BBSも人気。アドレスは以下。検索サイトにも登録済。

http://www.butaman.ne.jp/USERS/~kenyasu/Nichibutsu/

 ブツダラな日々

text/ヤマネシノブ

 みなさんはどのように、どんな気持ちで仏像と触れられますか?観光(見仏)目的の時もあります。しかし私は日々の生活で、例えば友人とケンカをした時や、ちっとも制作がすすまない等のヘコんだ時、はたまた奥村チヨの「京都慕情」ではありませんが、恋に破れた時なんかに仏像に会いにいきます。もちろん純粋に仏像に会いたいから、という時もあります。ヘコんだ時など寺へ行って何をするのかというと、ただただ仏像の前に腰掛け、ぼ〜っとしたり、たまにポツリとグチをこぼしたりするのです。きっと仏像からしたら、うざったくてしょうがないことでしょう。そんな時でも私はしっかり、見仏の際必ずつける日記や、朱印帳(1)、その他上記の見仏グッズを忘れません。奈良に行くときは、もちろん和辻哲朗著「古寺巡礼」(2)をカバンに忍ばせます。あと、私はだいたい一眼レフカメラを首から下げて行くのですが、よくカメラ好きのおじさんに同類かと思われ、からまれることもしばしばあります。
 時間的や体力的に寺へ足を運ぶことが無理な時は、私は本やビデオで仏像に触れます。ちょっぴり元気のない時は、「仏像通」(3)のビデオを見ます。これはテキストといとうせいこう氏による見仏手帳がセットで販売されています。監修はあの西村公朝さん、そしてみうらじゅん氏が出演されており、熱く仏像への想いを語っておられます。必見。紀野一義さんの「わたしの愛する仏たち」(4)も熱さでは負けておらず、こちらは心あたたまる内容です。ご自身の恋の話を東大寺三月堂の不空羂索観音にちなんだエピソードと交えて話されており、なんだかほっこりします。そしてその本の仏像を撮影されているのが巨匠入江泰吉氏です。仏像のアップやいろいろなアングルから撮られた写真はなかなか他では拝めません。その入江氏の撮影された仏像の妙に生々しいお姿を、友人いわく「今に動き出しそう」と、「ブッ」と噴き出したのです。失礼な。夜、床に入るとき「ポケットに仏像」(5)に眼を通すと、その日あったイヤなことも忘れ、安らかに眠りにつけます。仏像3D写真の為、レンズを覗いて傾きを調整し、うっすらと白目にし軽いトランス状態に入ると、目前にぼんやりとそのお姿が浮かび上がるのです。それにうっとりとし、余韻にひたっているとあっという間に朝が来るのです。 まあ、私はこんな風に日々仏像と接しているのですが、左記のアンケートや上記コラムを見る限り、仏像に対するイメージや自分の中での位置付けなるものは、実に十人十色のようです。それでいいと思います。出版物には美術的視点や歴史的視点で書かれたものがほとんどです。そういったものに囚われず、もっと自由に表現出来る場を、と思いアイドルトークでは今回特集を組んだ次第です。これを機に、みなさんもだらだらっと仏の魅力に触れてみてはいかがでしょうか?

 あなたにとって仏像とは?

text/読者のみなさま

  • 弥勒半カ思惟像。日本史の資料集にのっている上記の仏像に、わたしはそっくりです。地蔵顔ともよばれています。[廣田編子]
  • 崇高なる重み、時間の積層なのにはがれゆく金箔。かたまっちゃった人 [竹村直也(25歳/会社員)]
  • 家族旅行の一場面。「信仰」という凄い観念の表出でありながらそれを邪魔をする存在。得体のしれないもの。[藤垣淳子(23歳/大学院生)]
  • みうらじゅん効果。みうらじゅん的。みうらじゅんそのもの。[森住泰弘(23歳/大学生)]
  • いきなり、普段持っていない信仰心がむくむくと。[藤間千里(23歳/無職)]
  • アナーキーな円空の仏像が、ぼかぁ好きだなあ。[上嶋一豪(24歳/会社員)]
  • ありがたやありがたや。[田島周吾(23歳/無職)]
  • 信仰という宗教の場の象徴。かな? [石村乃緒子(24歳/アルバイト)]
  • 無駄な物。[木村仁(24歳)]
  • おしゃか様。(図1)[野村弥生(22歳/「とも船」船員)]
  • 包みこまれるような安心感。どんなに見つめ続けても、決してあなたは私と目をあわせてはくれないのね。─私はあなただけの為に居るのではないの、とでも言いたげな視線・・・。[椙山真紀子(23歳/会社員)]
  • みうらじゅんの『見仏記』のインパクトが強すぎて、以来あのようにしか仏像を見られません。(信仰ではなく人間観察の対象かな)[酒井千穂(23歳/大学院生)]
  • メシ、フロ、仏像。生活の一部。心のアイドル。[山根しのぶ(22歳/大学生)]
  • 近くても遠ーくに感じます。[松本真美(22歳/アルバイト)]
  • 遠足の目的地=小学校の思い出。今は、ここぞという時にふらんと行く場所。私にとって仏像とは、それと建物を含むいっこの場所です。[城森朋恵(22歳/軽社員)]
  • よく、”かんのんさま”に似ているといわれます。平安顔らしいです。

きっと仏像が造られた時代の”時の顔”が反映されているのでしょう。ところで、ブッダの頭のクリクリは何なんですか?天パの人とでこにほくろのある人には必ず『大仏』というあだ名がつく。 [今井智子]

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