Back to text top

Idletalk vol.2
YOSAKOI POWER

絶版
高知の本家・よさこい祭り、北海道のYOSAKOIソーラン祭りについて論じた号。テーマがマニアック。でも、よさこいはすごいでっせ。
このころはまだCANVASをメインに作業していて、しかも何人かが自宅に泊まり込みで編集していた。しかしそれでも今見るとお粗末感は否めない。

DATA
フリーペーパーIdletalk第2号
1997年6月発行

祭りを変える2つのYOSAKOI/竹村直也

ヨサコイの話/竹村真奈

みんなで何かを作りあげるということ/ヤマザキシノブ

 祭りを変える2つのYOSAKOI

text:タケムラナオヤ

ハレの衰退、ケハレの台頭
 かつて、祭りはケ(日常)の日々の中で最もハレ(非日常)の場であり時間だった。思う存分飲み食い買い、日頃の貯蓄も鬱憤も晴らしてしまうのがハレであり、祭りであった。逆にハレの日に許されることはケの日には許されず、そのことがハレとケを明確に峻別するものでもあったのだ。
 それが、今や毎日がどんちゃん騒ぎ、ケの日もハレ、いわばケハレの毎日である。毎日どこかでイベントがあり、毎日どこでも映画やコンサートをやっている。街には店や娯楽施設が立ち並び、毎日が消費行動の衝動にかられるこの世の中で、今更祭りこそがハレだというのもおこがましい。
 しかし、いくらケのハレ化が進展しようとも、ハレはハレであるべきだ。ハレとケが明らかに峻別されることで、日々の生活は活性化される。2つの対立項をもってせめぎあうことで、ハレもケもより高い次元へと到達できる。また、ハレとケの平均化は生活の平均化であり、地域性の平均化でしかない。

変わらない祭り
 祭りが飽きられた最大の要因は、先に述べたようなケのハレ化が最大の要因だが、祭りを取りまく状況の変化に祭りが対応しきれていないことも大きな要因だろう。祭りは、もともと神的なものをその中心に据えてきたものであり、今もほとんどの祭りがこれに基づいている。だが、現在の世の中で、祭りに参加する人々がどれほど「神」を意識しているかは疑わしい。
 昔から不変であることのすごさ、伝承する意味は大いに認めることができる。ただ、変わらぬことを尊びすぎると、祇園祭のような一般的に「つまらない」祭りになることも確かだ。祇園祭は、もともと鉾町という限定された地域の祭りであって、町と町が鉾の華麗さなどを競い合う祭りである。それ故にどうしても閉鎖的で、他所者の参加を拒絶してきた。その結果が、鉾の出せない鉾町の出現という祭りの衰退そのものである。
 祭りは、若い人に継承されてこそ生き生きと生き残る。生き残ることだけに汲々とするのはよくないが、継承されるためにはその時代時代を反映できる祭りにならなければならない。これだけ生活が変わっているというのに、祭りだけは何も変わらないというのでは、誰も見向きしなくなる。
 祭りが形を曲げてまで伝承されることを否定するのであれば、それはそれでいい。ただ、その行為は今失うものがたとえなくても、未来には何も残さないかも知れない。祇園祭では、これまでの鉾町衆だけの祭りから、やむをえずという面はあるとしても町外の人でも鉾を引けるようになった。祇園祭が一歩私たちに近づいてきたのだ。

YOSAKOIは祭りを変える
 祭りの現代版ともいえる「イベント」では、その中心が常に「客」の側におかれ、常に客の反応をうかがうことが重要となっている。だから、流行や世相を敏感に反映したものとなるのである。もしこの90年代に大阪で70年万博と同じ事をやっても誰も集まらないのは当然の話だ。
 祭りに今求められていることは、若い人に自発的に継承される祭りになることだ。継承されるということは、それだけ若い人がのめりこみ、楽しめるイベント性を持つということである。それは、祭りが「神」から「人」に依る祭りへと変化することを意味する。人が、市民こそが中心の祭りである。そして、そんなイベント性を持った祭り、若い人にもお年寄りにも圧倒的支持を受けている祭りの一つが、高知のよさこい祭りと札幌のYOSAKOIソーラン祭りなのである。
 高知・札幌とも、その熱狂ぶりは異常だ。高知よさこい祭りでは、高知市30万余の人口に対して15000人近くが踊っており、単純計算で高知市民の20人に一人が踊っている計算になるし、92年に始まった札幌のYOSAKOIソーラン祭りでも参加団体は毎年倍々ゲームで増加し、今年は20000人が踊ることになるという。これまで、よさこいへの参加率が高いのは高知に娯楽がないからだと言われていたが、170万都市・札幌でのYOSAKOIの盛り上がりを見ればそれは適当ではないという事ができるだろう。
 踊り子たちはケの日々がつまらないから踊るのではなく、よさこいが楽しいから踊っている。でなければ、どうして東京や大阪から戻ってきてまで踊ろうとする人がいるだろうか。彼等は参加費としてそれぞれ10000円から30000円程度を支払って参加する。特に女の人は個人個人美容院に行って髪型を派手な「よさこい用」にしたりするから、その出費総額はかなり大きいものになるはずだ。わずか2〜3日の祭りのためにである。
 よさこいは、別項にもあるようにチームの形態が多種多様で、踊りや音楽、衣装、参加費等のヴァリエーションも豊富だ。審査の上で踊り子を決めるチームもあれば、市民が飛び入りで参加できる特別チームもある。つまり、踊る側からするとそれぞれの嗜好や年齢にあわせたチームの選択ができること、見る側からしても130から200余りのチームがそれぞれ異なっていて飽きることがないというわけである。演じる側にも観る側にも何等強制がないこの幅の広さと自由さこそ、よさこいが世代性別を越えて支持される最大の要因であり、これからの「祭り」のあり方を示唆するものであろう。
 祭りは毎年毎年踊りや音楽の傾向を変えていく。もちろん、正調をベースとするチームなどは変わらないが、多くのチームはより人目と関心をひくためにも、その年の流行や時世を反映し、レベルアップを図ろうとする。その結果、踊りや音楽が良かったチームは翌年に多くの人が集まる構造を持っており、チームの栄枯盛衰も激しい。生き物のように成長と変化を続ける祭り。こんな祭りが今の日本にあるだろうか。

言葉でも写真でも伝えきれない。まずは観るべし
 言葉でも写真でも伝えきれない、そんな底の深さと力強さがよさこいにはある。いくらよさこいのことをこの限られた紙面に書いたところで、読んでくれる人達によさこいの雰囲気や空気をどれだけ想像してもらえるか。文章力の問題だけじゃない、よさこいはこれまでの祭りのイメージからかけ離れ過ぎていて、到底伝えきれるようなものじゃない。
 高知や札幌に来て下さい、そしてよさこいを観て下さい、踊って下さい。きっと楽しいはずです。きっと病みつきになります。

追記■大阪、泉州の岸和田などで、今度はYOSAKOIワッショというだんじりとよさこい、YOSAKOIソーランとを掛け合わせた祭りがはじまるそうです

 ヨサコイの話

text:タケムラマナ

ヨサコイ祭り。
 私は、6年間同じチームでSTAFFとしてヨサコイに参加している。STAFFとしてやることといったら、チームの先頭を飾る地方車(じかたしゃ)作り、お弁当や飲み物の調達、150人ほどの踊り子に振り付けを教えたり移動を指示したりといったような事である。
 その作業の中で私が一番好きで、また一番辛いのが地方車づくりである。地方車はそのチームの顔であり、地方車からチームに対するイメージが出来てしまうほどの重要な存在である。ただの4トントラックに板を打ちつけ、アンプやドラムなどの機材をのせ、トラックの四面いっぱいに取り付けた大きな板には自分たちのチームのアピールを描き込んだり、電飾などの仕掛けを取り付けていく。私が参加しているGAIAというチームでは、「GOA-TRANCE」をテーマに神や自然、太陽を描き込んでいった。昨年は10人がかりで2日間ぶっとうしで作業して作り上げた。完成したのはヨサコイ本番ぎりぎりの前夜祭の花火大会の日で、遠くの花火を見ながらバーベキューをして地方車の完成を祝った。

 
 そして当日、地方車が踊り子たちの前に現れると、みんなの気持ちも盛り上がる。徹夜だった私たちもナチュラルハイで、昼間のカンカン照りの太陽の下でビールを飲む。スピーカーから流れる大音量のトランスでますますテンションは高まり、最高に気分がいい。スタートからこの調子で、最後まで体が持たないっちゅうことはフシギとナイ。高知市の街中でいろんなチームが踊りまくって、街中の人が一つになる。こんなコトって本当に1年の中でこの2日間しかない。子供から老人までがノリノリ。ここには普段話すこともないような人達との出会いが溢れてる。みんなが初対面ということも忘れて友達みたいに朝から晩まで踊るなんて、ヨサコイのすごいところだよ。ヨサコイで恋が芽生えるっていうコトもあるくらい。
 たくさんある会場の中で最も燃える帯屋町商店街なんかに行くと、もうハジも忘れてひたすら踊る。テレビ中継とかメダルをくれる所までくると、もうかなりヤバイ。
 1カ月もかけて振り付けの練習をして2日間だけの祭り。20000円位の参加費を出して、2日間。でも、そこまでしてでも毎年踊る人はたくさんいる。それだけ面白い。みんなきれてるっていうか、きれなきゃ損だ。ビールもこれほどオイシイのかっていうほどウマイ。みんなで一つになろう。気持ちいい。
 でも、これだけの人数にもなると、チーム全体を一つにまとめる人が必ず一人はいなくてはならない。その人はスゴイと思う。もちろん疲れた顔一つ見せることもせず、衣装からバス、弁当、会場確保とか全部しないといけない。でも、そういう人はそれだけ大変でも毎年そういう人だ。スゴイ。RESPECT。
あ あと、ヘアスタイルとか化粧とかも十人十色で見てて面白い。衣装とかはみんな一緒でも、その中でも自分っぽくオシャレしてる子はやっぱりオシャレだ。美容室も夜中から大忙し。ちなみに行くなら愛宕のELISEがオススメです。
 これだけオモシロイ三昧のお話だけしてしまいましたが、辛いのは練習くらいで、それも蚊に刺されるのと暑い位のコトで、あとは自分次第といった感じです。とにかく一度は踊ってほしい。 うまく表現できなくてすみません。
 さぁ、今年も踊ろう。ヨサコイ祭り。

 みんなで何かを作りあげるということ

text/ヤマザキシノブ

チームの始まり
 どんなものでもそうだと思うのですが、「みんなで何かを作り上げる」というのはとても大変なことです。これは、一人で何かを作り上げることよりも大変なことが多々あります。
 私は、昨年の12月からYOSAKOIのチームを立ち上げる裏の仕事を行ってきました。人口1万4千人足らずの過疎の進む田舎町。若者も就職や進学で町を離れる率が高く、町の特産物もこれといって目玉となるようなものは一つもない。国立公園を抱えているだけに観光客は多く訪れる町ですが、ただただ雄大な自然が売り物の、北海道ではごくごく普通の町です。
 この町からYOSAKOIソーラン祭りに出場してみよう、という話が持ち上がり、まったく下地もないゼロの段階からチームの立ち上げが始まりました。

YOSAKOIソーラン祭りの現況
 北海道で毎年行われている「YOSAKOIソーラン祭り」は、全国のお祭りと比べても、もちろん本場の高知のよさこいと比べても、それらには見られないようなある特徴的な傾向があります。
 札幌市内のチームや高知のよさこいチームの多くは、企業が大々的にスポンサーとなり、金銭的なバックアップからチームの運営に至るまで、地域振興の事業として、または企業の宣伝として参加するというのが一般的ですが、道内の札幌以外の市町村から参加するチームというのは、企業がスポンサーになっている例は少なく、行政がその役を担っている例が多いのです。
 私の知っているあるチームの中には、行政が大義名分のもとチームを運営しているので、金に糸目はつけないよ状態のところもありました。運営の庶務は町職員まかせとなり、勤務時間にYOSAKOIの仕事をこなし、給与が与えられるのです。
 もちろん、小さなサークル活動のようなチームもあります。金はなくても熱意はあるぜ、というタイプのチームは見た目の派手さ豪華さは劣りますが、見る者の心を熱くする一生懸命さがあり、金のなさという非常に辛い苦労をともにしたチーム内の連帯感は強烈です。こういうチームは、前者の金に苦労をしたことのないチームよりも知恵と力を出しあっているわけですから、YOSAKOIで住民の活性化を、という点ではその効果を十分に発揮しています。
 前者のように行政のような大きな頼みの綱がない分、苦労の海に溺れている自分たちを支えてくれるたくさんの藁も、自分たちで探さなければなりません。そのためにまず、自分たちの町からYOSAKOIのチームを立ち上げることでどのような具体的なメリットがあるのか、町に対するメリットは何か、住民に対するメリットは何か、逆にデメリットになる点はないか、町の既存の祭りとの関わりはどうか、などなど考える問題が山積みになります。これらの問題の解答を見つけ、自分たちが何をしたい団体なのか、どのような集団なのかをしっかりと把握し、つかまえたい藁たちに明確に説明しなければ、すがるべき藁たちも聞く耳なんぞもってくれません。
 このような作業を繰り返すことで先述のような一生懸命さがにじみ出たり、連帯感が生まれたり、町に対しても(YOSAKOIが)住民の活性化に一役かったり出来るわけです。

私たちのチームとばかばかしい苦難―その1
 私たちのチームは、ただの祭り好きが集合しただけの、どこの傘下にも入らない自由な団体として(自然発生的に)生まれました。年齢、性別、学歴、国籍一切問わず、とにかくYOSAKOIをやりたい人間の集団です。先程のチームのタイプでいえば、金のない後者のタイプにあたります。町の仕掛けではなく、町民のやりたさが募って生まれたチームなので仕事に対する金銭的な報酬は(もちろん)ありませんが、やりがいがあるので生き生きしていることは確かでした。
 これからチームを作り上げていくための方針やスケジュールを決定する会議が行われました。昨年の12月、チーム発足前後のかなり早い時期の話です。YOSAKOIをやりたくてうずうずしている人間たちが、十数名集まりました。そこに集まった人間すべてに共通している祭りへのうずうず感を語りあっている段階では、参加している人間の気持ちが高ぶるだけで、何ら問題はありませんでした。
 しかし、チームとして、団体として、どういった方針を打ち出そうかという話になったときに、これまで会場を包んでいた同志が集まったという穏やかな雰囲気が冷めていきました。大きな意見の相違が表出したのです。
 意見は二分しました。「初出場だから高望みはせずに、とにかくみんなが楽しくやれれば本望」という意見と、「やるからには、札幌に行くからには、恥ずかしくないものを作って、ぜったいに大賞を狙う」という意見でした。後者の意見はごく少数意見で、約一名が熱っぽく受賞にこだわった自らの考えを滔々と述べていました。
 初めての意見の相違です。しかも相反するような意見の食い違いでした。多数派の前者は(私もですが)、「賞なんてものは後からついてくるから、始めからそれを目標にしなくても…」と熱くなっている賞こだわり派をなだめ、「楽しくやって、賞がとれたら儲けもの」という雰囲気でその場を回避しました。
 賞こだわり派は、「みんながそう言うならそれでもいいけど、私は個人的に賞を狙わせてもらいます」という不吉な予感がする言葉を残しました。意見の相違はスタートに似つかわしくない怪しい雲行きを呼びましたが、時間的な余裕もなかったため、皆気にも留めずにとにかくスタートを切ったのでした。それからはこの意見の相違が表面化することもなく、仕事はさして問題もなく進んでいました。

私たちのチームとばかばかしい苦難―その2
 そのすったもんだがあった会議から約3ヵ月が経った頃、この会の中にはやはり二つの異なる意見が存在していると感じざるを得ない事件が起こりました。
 プレイベントとして、地元の子ども祭りに参加して踊ろう、という企画を進めている時、その事件は発生したのです。私たちは、そのイベントに参加して踊るための衣装の話し合いをしていました。
「札幌用の衣装でもないし、お金をかけてみんなの負担が大きくなるのも困るから、あるもので間にあわせましょう」という意見がまず提案されました。これは、3ヵ月前の会議で「楽しくやろう」と言っていた多数派の意見でした。
 しかし、即座に「え?」という疑問詞を投げかけたのは、もちろん賞こだわり派の面々でした(この間に一人から二人になっていた)。そして、「頭から爪先まで、すべて同じもので揃っていなければおかしい」と猛反発を食らいました。多数派は、必死に「何もそこまで求めなくとも」という姿勢を変えませんでした。
 しかし、「演出的によろしくない」の一点張りで、「お金はかかるが、皆好きでやっているのだから、(いくら負担が大きくても)文句は言わないはず」というとんでもない勝手な言葉が飛び出したのです。
 自分たちがそういう考え方だから、皆同じように思っている、という考えは、全く無謀以外の何者でもありません。その意見からは、「(私のような)お金のないものは、衣装が揃えられなければ演出的によろしくないからかっこ悪い、ダメダメ」という考えが引き出されます。参加したい人間を選別する考え方です。私には、この考えの方がよっぽどよろしくないものではないかと思えました。演出云々以前の問題だからです。
 やはり、みんなで楽しくという基本方針は、納得されていなかったのでした。あの雲行きの怪しさ、最後に残された不吉な予感のする言葉は、悲しいかなこの事件の前兆だったのです。結局、この場も曖昧なまま話し合いを終えました。そのイベントの衣装は、個人の持ち物と借り物で揃えることにし、なんとか負担は少なく済ませました。
 この時点で私は、ある程度年を重ねてきた大人との意見の対立は非常に疲れるものだと実感しました。下手に年を重ねているだけプライドもあり、これまでの経験が裏打ちさせる意見のように発言され、とにかく私のような若造が何を言っても理解してもらえず、私としても自分が若造だという手前、言いたいことを全部言えずに消化不良を起こしまくりました。
 しかし、なんともばかばかしい対立、それに悩み疲れている自分もばかばかしく思えてきてなりません。私は疲れたときにたびたび考えました。「一人で何でも決められるのなら、どんなに楽だろう」。確かに、思いやりのない言葉に悩まされずに済んだでしょう。しかし、一人で何でも決めることが現実的に不可能な状態で、その考えは単なる理想、現実からの逃避でしかないのです。

それでもみんなやっている

 みんなで何かを作り上げるというのは非常に大変です。私たちのチームが乗り越えた苦難はこれだけではありません。楽しいこと、うれしいことと同じ数ぐらいの嫌なこと辛いことを経験しました。それでも活動が(なんとか)軌道に乗っている今、どんな辛いことがあっても「やめたい」とは思いません。それは、他人に迷惑がかかることを懸念してではなく、今やめてしまったら、祭りの当日に底知れぬ後悔を味わうような気がしてならないからです。
 やらなければ、底知れぬ後悔を味わいそうな祭り。それがYOSAKOIソーランなのです。我がチームのメンバーの皆がそう感じているでしょう。だからこそ、いろいろあっても誰一人脱落せずにいるのです。
 チームの立ち上げから約半年。寝ても覚めてもYOSAKOIのことばかりが私の頭の中をめぐっています。

▲top