チームの始まり
どんなものでもそうだと思うのですが、「みんなで何かを作り上げる」というのはとても大変なことです。これは、一人で何かを作り上げることよりも大変なことが多々あります。
私は、昨年の12月からYOSAKOIのチームを立ち上げる裏の仕事を行ってきました。人口1万4千人足らずの過疎の進む田舎町。若者も就職や進学で町を離れる率が高く、町の特産物もこれといって目玉となるようなものは一つもない。国立公園を抱えているだけに観光客は多く訪れる町ですが、ただただ雄大な自然が売り物の、北海道ではごくごく普通の町です。
この町からYOSAKOIソーラン祭りに出場してみよう、という話が持ち上がり、まったく下地もないゼロの段階からチームの立ち上げが始まりました。
YOSAKOIソーラン祭りの現況
北海道で毎年行われている「YOSAKOIソーラン祭り」は、全国のお祭りと比べても、もちろん本場の高知のよさこいと比べても、それらには見られないようなある特徴的な傾向があります。
札幌市内のチームや高知のよさこいチームの多くは、企業が大々的にスポンサーとなり、金銭的なバックアップからチームの運営に至るまで、地域振興の事業として、または企業の宣伝として参加するというのが一般的ですが、道内の札幌以外の市町村から参加するチームというのは、企業がスポンサーになっている例は少なく、行政がその役を担っている例が多いのです。
私の知っているあるチームの中には、行政が大義名分のもとチームを運営しているので、金に糸目はつけないよ状態のところもありました。運営の庶務は町職員まかせとなり、勤務時間にYOSAKOIの仕事をこなし、給与が与えられるのです。
もちろん、小さなサークル活動のようなチームもあります。金はなくても熱意はあるぜ、というタイプのチームは見た目の派手さ豪華さは劣りますが、見る者の心を熱くする一生懸命さがあり、金のなさという非常に辛い苦労をともにしたチーム内の連帯感は強烈です。こういうチームは、前者の金に苦労をしたことのないチームよりも知恵と力を出しあっているわけですから、YOSAKOIで住民の活性化を、という点ではその効果を十分に発揮しています。
前者のように行政のような大きな頼みの綱がない分、苦労の海に溺れている自分たちを支えてくれるたくさんの藁も、自分たちで探さなければなりません。そのためにまず、自分たちの町からYOSAKOIのチームを立ち上げることでどのような具体的なメリットがあるのか、町に対するメリットは何か、住民に対するメリットは何か、逆にデメリットになる点はないか、町の既存の祭りとの関わりはどうか、などなど考える問題が山積みになります。これらの問題の解答を見つけ、自分たちが何をしたい団体なのか、どのような集団なのかをしっかりと把握し、つかまえたい藁たちに明確に説明しなければ、すがるべき藁たちも聞く耳なんぞもってくれません。
このような作業を繰り返すことで先述のような一生懸命さがにじみ出たり、連帯感が生まれたり、町に対しても(YOSAKOIが)住民の活性化に一役かったり出来るわけです。
私たちのチームとばかばかしい苦難―その1
私たちのチームは、ただの祭り好きが集合しただけの、どこの傘下にも入らない自由な団体として(自然発生的に)生まれました。年齢、性別、学歴、国籍一切問わず、とにかくYOSAKOIをやりたい人間の集団です。先程のチームのタイプでいえば、金のない後者のタイプにあたります。町の仕掛けではなく、町民のやりたさが募って生まれたチームなので仕事に対する金銭的な報酬は(もちろん)ありませんが、やりがいがあるので生き生きしていることは確かでした。
これからチームを作り上げていくための方針やスケジュールを決定する会議が行われました。昨年の12月、チーム発足前後のかなり早い時期の話です。YOSAKOIをやりたくてうずうずしている人間たちが、十数名集まりました。そこに集まった人間すべてに共通している祭りへのうずうず感を語りあっている段階では、参加している人間の気持ちが高ぶるだけで、何ら問題はありませんでした。
しかし、チームとして、団体として、どういった方針を打ち出そうかという話になったときに、これまで会場を包んでいた同志が集まったという穏やかな雰囲気が冷めていきました。大きな意見の相違が表出したのです。
意見は二分しました。「初出場だから高望みはせずに、とにかくみんなが楽しくやれれば本望」という意見と、「やるからには、札幌に行くからには、恥ずかしくないものを作って、ぜったいに大賞を狙う」という意見でした。後者の意見はごく少数意見で、約一名が熱っぽく受賞にこだわった自らの考えを滔々と述べていました。
初めての意見の相違です。しかも相反するような意見の食い違いでした。多数派の前者は(私もですが)、「賞なんてものは後からついてくるから、始めからそれを目標にしなくても…」と熱くなっている賞こだわり派をなだめ、「楽しくやって、賞がとれたら儲けもの」という雰囲気でその場を回避しました。
賞こだわり派は、「みんながそう言うならそれでもいいけど、私は個人的に賞を狙わせてもらいます」という不吉な予感がする言葉を残しました。意見の相違はスタートに似つかわしくない怪しい雲行きを呼びましたが、時間的な余裕もなかったため、皆気にも留めずにとにかくスタートを切ったのでした。それからはこの意見の相違が表面化することもなく、仕事はさして問題もなく進んでいました。
私たちのチームとばかばかしい苦難―その2
そのすったもんだがあった会議から約3ヵ月が経った頃、この会の中にはやはり二つの異なる意見が存在していると感じざるを得ない事件が起こりました。
プレイベントとして、地元の子ども祭りに参加して踊ろう、という企画を進めている時、その事件は発生したのです。私たちは、そのイベントに参加して踊るための衣装の話し合いをしていました。
「札幌用の衣装でもないし、お金をかけてみんなの負担が大きくなるのも困るから、あるもので間にあわせましょう」という意見がまず提案されました。これは、3ヵ月前の会議で「楽しくやろう」と言っていた多数派の意見でした。
しかし、即座に「え?」という疑問詞を投げかけたのは、もちろん賞こだわり派の面々でした(この間に一人から二人になっていた)。そして、「頭から爪先まで、すべて同じもので揃っていなければおかしい」と猛反発を食らいました。多数派は、必死に「何もそこまで求めなくとも」という姿勢を変えませんでした。
しかし、「演出的によろしくない」の一点張りで、「お金はかかるが、皆好きでやっているのだから、(いくら負担が大きくても)文句は言わないはず」というとんでもない勝手な言葉が飛び出したのです。
自分たちがそういう考え方だから、皆同じように思っている、という考えは、全く無謀以外の何者でもありません。その意見からは、「(私のような)お金のないものは、衣装が揃えられなければ演出的によろしくないからかっこ悪い、ダメダメ」という考えが引き出されます。参加したい人間を選別する考え方です。私には、この考えの方がよっぽどよろしくないものではないかと思えました。演出云々以前の問題だからです。
やはり、みんなで楽しくという基本方針は、納得されていなかったのでした。あの雲行きの怪しさ、最後に残された不吉な予感のする言葉は、悲しいかなこの事件の前兆だったのです。結局、この場も曖昧なまま話し合いを終えました。そのイベントの衣装は、個人の持ち物と借り物で揃えることにし、なんとか負担は少なく済ませました。
この時点で私は、ある程度年を重ねてきた大人との意見の対立は非常に疲れるものだと実感しました。下手に年を重ねているだけプライドもあり、これまでの経験が裏打ちさせる意見のように発言され、とにかく私のような若造が何を言っても理解してもらえず、私としても自分が若造だという手前、言いたいことを全部言えずに消化不良を起こしまくりました。
しかし、なんともばかばかしい対立、それに悩み疲れている自分もばかばかしく思えてきてなりません。私は疲れたときにたびたび考えました。「一人で何でも決められるのなら、どんなに楽だろう」。確かに、思いやりのない言葉に悩まされずに済んだでしょう。しかし、一人で何でも決めることが現実的に不可能な状態で、その考えは単なる理想、現実からの逃避でしかないのです。
それでもみんなやっている
みんなで何かを作り上げるというのは非常に大変です。私たちのチームが乗り越えた苦難はこれだけではありません。楽しいこと、うれしいことと同じ数ぐらいの嫌なこと辛いことを経験しました。それでも活動が(なんとか)軌道に乗っている今、どんな辛いことがあっても「やめたい」とは思いません。それは、他人に迷惑がかかることを懸念してではなく、今やめてしまったら、祭りの当日に底知れぬ後悔を味わうような気がしてならないからです。
やらなければ、底知れぬ後悔を味わいそうな祭り。それがYOSAKOIソーランなのです。我がチームのメンバーの皆がそう感じているでしょう。だからこそ、いろいろあっても誰一人脱落せずにいるのです。
チームの立ち上げから約半年。寝ても覚めてもYOSAKOIのことばかりが私の頭の中をめぐっています。
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